20日 6月 2022
香港と言うと、まず「100万ドルの夜景」と言われるビクトリアピークから香港島と九龍半島を望む眺望が浮かびますが、その香港島の裏アバディーン地区に行くと、突然キラキラギラギラ、目がまぶしくなるような光に包まれた建物が水の上にドーンと現れます。まるでこの世のものとは思えないような豪華絢爛さに度肝を抜かれ、岸から船で渡ると、そこはもう一つの香港の顔、4階建て海上レストランの「JUMBO」です。1980年代の後半くらいから香港に行ってますが、最初のころはこの豪華なレストランで食事するのが楽しみで、何を食べても旨いと感じていました。途中から、食べるだけならもっと美味しいとこがあることを知りましたが、ここは食事のおいしさ以上に、いつも人が多く活気にあふれ「香港に来た!」と感じられるところでしたので、それから何回も行きました。ところが、最後に行った10年ちょっと前、光が薄暗くなって4階ある建物の内、1~2階しか開いてないのです。それまで観光客でごった返していた店内もがらーんとして、あのJUMBOはどこに行った?と寂しい思いをしていましたが、その後、香港の民主化デモで観光客がさらに減り、コロナがとどめを刺したのか、2年前の2020年3月に営業を停止し、そして先日14日にとうとうアバディーンの海上から船で曳かれて撤去されたというニュースがありました。たかだか民間の水上レストランではありますが、何か香港全体が変わってしまい昔の良き時代が終わったような気がして、寂しく感じます。日本でもコロナに限らず諸事情で営業を停止した地方百貨店や料理店、テーマパーク等々、たくさんあります。「あの店美味しかったのに。」「あのテーマパーク、子供を連れて、よく行ったなあ。」「小さいころ、この百貨店の食堂へ連れて行ってもらうのが楽しみで。」などなど、昔の思い出までも消えていくようで今まであったものが無くなるのは、やはり寂しくなりますよね。でも、考えてみたら、人間も含めて生命体は要らなくなった古いものを体外へ出し、新たに必要なものを取り入れる、いわゆる”新陳代謝”をするから生きていけるのであって、それができなくなると生命の維持もできなくなります。それと同じで、社会全体でも”新陳代謝”が活発に行われることで、また新たに生きるエネルギーが生まれ、新たな街や社会ができるのですから、古いものが無くなることは、歓迎せねばならないのでしょうね。と、頭で理解はするのですが、古いものに対する郷愁は捨てきれぬものがあります。しかし、そんなことばかり言ってて、これからも続くであろう社会の新陳代謝の中で、今度は自分自身が古くて役に立たないものとなれば、”JUMBO”のように船に曳かれて排除される訳ですから、そうないように頑張らねばねばなりません。船に曳かれるなんて、「まだまだ10年早い!」と奮い立つ今日この頃です。がんばりましょう。 (あとがき) 18日に、今、お米の普及と食の感動を広げようとがんばっている、株式会社八代目儀兵衛と言う会社の経営方針発表会で講演をしました。社長は元ニッセンの人でまだまだ若くて、業界に新しい風を吹き込もうと頑張っています。まさに今までの古いものにとって代わって、新たなコメの文化を築こうと新陳代謝の真っただ中です。その中で若い社員の方たちがみんな一生懸命に耳を傾けてくれて、あっという間の90分でした。そんな人たちが、私の話を聞いて異口同音に「役に立ちました。」と言ってくれてます。人の役に立つうちは、まだまだ現役。そう簡単に排除される訳には行きませんね。次回は30日前後に更新する予定です。

10日 6月 2022
6月10日、時の記念日にあたり、少し昔を振り返ってみようと思います。と言うのも、今週7日に東京ビッグサイトでダイレクトマーケティング(以下DM)フェアと言う展示会があり、その中で講演を依頼され話をしてきました。DMと言うと何かなと思う人もいるでしょうが、いわゆる通信販売のことです。会場は出展者も来場者も若い人がたくさんでDM業界に従事している人の多さを感じました。通販と言うと、今でこそ、テレビやWEBなどが主媒体になってきましたが、元々は紙媒体が主流で欧米では100年以上前からすでに普及していた販売手段です。写真のカタログは、フランスの友人からもらった1924年と1925年に発行されたフランスの通販カタログです。(プランタンとボンマルシェのカタログ)100年前ですから写真はまだまだ一般的ではなかったので、絵で商品を説明しています。当時の最新ファッションや靴バック、アクセサリー、家具や台所用品など、今と変わらぬ品ぞろえで驚きます。ところが日本では、なかなか業界が成熟せず、私が大学を卒業してニッセンに入った1978年頃の”通販”と言う響きの中には、少々暗い印象がありました。その当時の通販会社は玉石混交で、中には胡散臭い商品やまがい物を売る会社もあり、私が九州から京都の通販会社に行くと言うと、本気で「大丈夫か?」と言う人もいたほどです。会社に入ってからも商品の仕入れをしていたのですが、いろんなメーカーさんや問屋さんに「商品を仕入れたい。」と連絡しても「カタログ販売?」「何やそれ?」「写真で物を売るなんて聞いたことがない!」とよく断られました。実際、友人や周りの人に通信販売のニッセンって知ってると聞いてもほとんどが、「通販?ニッセン?知らない。」と言う返事。唯一「知ってるよ。」と言ってくれてたのが飲み屋のおかみさんやお姐さんたちでした。当時のニッセンは美容院にカタログを置いていたので、しょっちゅう美容院に行く必要のある飲み屋関係の人たちにのみ知名度があったわけです。それが今やカタログやチラシだけでなく、Eコマース、テレビショッピングなどは当たり前で知らない人はほとんどいません。隔世の感があります。隔世の感と言うと、仕事の仕方も様変わりです。当時は、今のようにパソコンもないしインターネットもスマホも何もない時代でしたので、計画などを立てる時や業績の判断をするのに全部手計算、かろうじて電卓はありましたので、月別商品別の売上計画などを作る際には、電卓片手に一晩は平気で徹夜しないとできないくらいでした。今ならエクセルで10分くらいでしょうか。また、何かの連絡をするには大勢であればその都度、みんなで集合して話を聞かないと伝えられません。今なら、メールで同時配信すれば、何人でも何百人でもあっという間です。また、何かを調べるには、会社にある百科事典や統計資料から探し、なければ図書館や新たにそれがわかる本を購入するなど、手間がかかって仕方ありませんでしたが、今はネットで検索すればあっという間です。最近ではコロナの影響もあり商談や会議さえもリモートで済ませられます。新幹線の所要時間も当時は京都→東京間で3時間弱かかっていたものが今では2時間10分前後です。この40分の短縮は結構大きくて、入社当時に東京に行く際は、午前中が移動だけなので必ず1泊2日で行ってましたが、2時間10分で行けるとその日の午前中に商談ができるので、昼から3軒ほど予定を入れると日帰りができるようになりました。その他、携帯電話が普及して、どこでも連絡が付きますし、新幹線の中でパソコンを開いて仕事をしている人も大勢います。これだけ多くの時間を短縮できるようになって、普通に考えれば当時の仕事は今なら半分か3分の1の時間で充分にできるようになったはずです。では、一人当たりの生産性が当時の倍~3倍になっているか? 多分、そんな実感はないと思います。なぜなら、一番違うのが”要らん仕事が多すぎる”からです。なまじエクセルが使える、依頼すれば資料が出てくる、ネットを見れば大体の欲しい情報が見れる、そうなると、情報も多すぎて細かい分析もできるので情報や機械に振り回されてしまっているように思います。ポイントさえ逃さなければ細かいことは不要なケースは多々見られます。飲み会で店を探そうと昼間に「今日の宴会何人くらい来るの?」と聞かれて、来る可能性のある人にいちいち確認し、その精度まで計算し、「80~100%の人が7人、50~80%の人が2人、それ以下が3人、加重平均すると8.5人です。」と夕方になって返事されても役に立たないと思います。それなら、「今、12人に声かけてますけど、来れない人もいるようなので10人弱だと思います。」と即答した方が役に立ちます。そんな人はいないだろうと思うかもしれませんが、こんなケース、周りを見まわしたら結構あると思いますよ。今、何が大事か、優先順位を付けられない人は、総じて仕事ができない人だと思います。逆に優先順位が付けられることは、仕事のできる人の条件でさえあります。 さて、皆さんも”時の記念日”に昔と比べて自らの時間の使い方が進歩したか、温故知新、一度考えてみるのも良いのではないでしょうか? (あとがき) 時の記念日は、天智天皇が日本で初めて水時計で時を知らせた故事から取ったものですが、制定されたのは1920年(大正9年)です。制定の理由は欧米人から、日本の一般人は時計も持っていないことから「日本人は時の観念が薄い。」と指摘されてのことだそうですが、一般の人への腕時計等の普及は第二次世界大戦後1950年頃を待つことになります。考えてみたら、1920年ころからフランスでは通販があり、カタログには今と変わらない腕時計や懐中時計が売っています。欧米と日本の工業化の歴史はやはり大きく異なるなと実感する次第です。では、次は6月20日あたりの更新です。

27日 5月 2022
マスコミが連日報道しているので、わざわざブログにこんなバカ男のことを書かなくてもいいのですが、2つの点でこの報道に危惧しています。一つは、このアホ男がオンラインカジノに使ったと言った事。日本は、公にはギャンブルは禁止の国です。したがって、大阪や横浜でのカジノ建設に関しては、多くの人の反対を招きました。特に議員の方や、いわゆる良識のある方々の意見で「ギャンブル依存症になる人が出てくる。」「青少年の教育に良くない。」などなど議論百出でしたが、以前にこのブログにも書きましたように、日本には競馬、競艇、競輪等の公営ギャンブルがあり、さらにパチンコと言う紛れもなき賭博場が全国つづうら浦に存在します。その数なんと約9000店。そんな状況ですから、すでにギャンブル依存症になっている人も多数存在しているカジノ大国でなのです。それに比べ、海外のカジノなんてそんな9000店もあるところなんてありません。せいぜい、数か所から多い国で数十か所です。そのギャンブル大国日本で唯一海外よりましなことは、パチンコ屋や公営ギャンブル場は、開いてる時間が決まっており、時間が来たら、それ以上やりたくてもできなくなることです。(海外のカジノはほとんど24時間開催)そんな中、このスカタン男が、4600万円はオンラインカジノに使ったなどと言うものですから、テレビなどでは「オンラインカジノとは?」と詳細に説明し、ほとんどの日本人がオンラインカジノの存在を知りました。 もちろん、オンラインで24時間営業なので、家にいて寝転んでいても24時間好きな時に好きなだけできるカジノが目の前にできたようなものです。市場規模については、なかなか正確な数値がないのですが、現在の日本でのオンラインカジノの売上は7~900億円と言われています。今までは、知る人ぞ知るという存在だったオンラインカジノですが、これほど日の目を見てしまうと、一挙にやる人が増えて、あっという間に実際のカジノを一軒建てたのと同じくらいの金(大阪府の試算で50000億円)が日本から出ていくでしょう。さんざん議論したカジノ論議ですが、今回の鼻くそ男のおかげで、観光客が増え、雇用が促進され、お金が日本に落ちると言ったメリットは一つも享受できず、間違いなくデメリットである、ギャンブル依存症や、破産する人が増えるでしょう。とんでもないことです。もう一点は、このことにマスコミは、どれだけ時間を割いたでしょうか? 最近は、「ウクライナ」「知床遊覧船」「ボケカス男」この3本立てでほとんどの時間を使っている感じで、他に大事なニュースはないのか? 例えば、今般「ミャンマーの軍事政権から士官候補生を受け入れ、防衛大学や航空自衛隊で訓練を受けさせる。」ことなどを政府が決めました。こんな重大で由々しき事態ですが、ほとんどニュースに流れません。ミャンマーの軍事政権など、ロシアよりもひどい仕打ちを民間人に対して行っているにも拘らず、なぜ日本が受け入れて教育を施さないといけないのか? 全く持って理解できません。岸田も岸(防衛大臣)もきちんとした説明をすべきです。逆に弱い立場の民間人抵抗者に支援すべきで、また支援も金銭、食料や武器の供与だけでなく、ウクライナと同様に迫害されて死に瀕している人を難民として受け入れるべきですが、そんなことは全くしていません。弱いものを助けずにその人たちをいじめる軍事政権にいい顔をする、それが日本のとるべき態度か! こんなことなどもマスコミで「令和のお騒がせクソ男」の10分の一でも報道すれば、世論は盛り上がると思いますが、残念ながら、そんな骨太の報道をするところは、見当たりません。本当にしょうもない、不埒な”たわけもの”のおかげで、数千億円ものお金が消えるとともにカジノを建設したと同じデメリットが現れ、知りたいこと、知らないといけないことが国民に知らされない。こんな影響があることを、何度も言って悪いですが、このバカタレはどう考えているのか? 今回のように世間をなめてるような”ヤカラ”が、これから出てこないことを祈るだけです。 (あとがき) ユニセフがテレビでロヒンギャのCMを流していますが、ミャンマーの軍事政権は、このロヒンギャの人たちを大虐殺したり、一定の地域に隔離し、70万人ものロヒンギャがバングラデッシュに避難しています。それに対して、日本政府は何の制裁もせず、ロヒンギャや民間の抵抗勢力を助けようともしません。ウクライナは世間の耳目を集めているので支援するが、国民が知らないところでは何もしないでは、情けない限りですね。正義とは何か? 岸田総理と岸大臣に聞いてみたいですね。 次回は、6月10日前後に更新です。

17日 5月 2022
先月23日に大変悲惨な事故が起こりました。5月17日現在でも12名の方が不明です。また、報道によると事故は起こるべくして起こった人災と言えるようです。私が中国やアジアに行き始めた30数年前は、各国の方には失礼ですが乗り物に乗る時はいつも不安でした。車が途中で故障して止まったり、ハンドル操作を間違ってぶつかりはしないか、船は沈むんじゃないか、飛行機は、この間まで戦闘機を操縦していた兵隊上がりのパイロットも多いと聞き、乗るたびに急上昇急降下で不安に思いました。上海の市内から空港までのリニアモーターカーができて時速300Km で走ると聞いた時にも同行の日本人の中には、絶対事故が起こるから乗らない、という人までいたくらいに安全に対しては不安が付きものでした。それは、単なるイメージでそう思うのではなく、実際に町の中では車がよく事故をしており、また高速道路が壊れて高架が落ちたり、橋が壊れたり、大きな列車の事故もあったり 、乗り物自体だけでなくインフラも含めて現実に事故率が高かったのも事実でした。それは、どこかで”手を抜いている”のが原因で、そのいい加減さがいろんなところで不安にさせていました。その点、日本はどこに行っても何に乗っても手を抜くことがないので、安全で何の心配も要らない、・・・・と思っていましたが、この間の遊覧船の事故を見ると、「日本も変わってしまったな。」と考えを改めざるを得ません。命に係わる危険よりも金儲けを優先する遊覧船社長の考え、それを許してしまう周りのスタッフ、中途半端な検査で通してしまう国の検査方法、どれを見ても”日本らしさ”が一かけらもありません。日本には西洋のように宗教に基づいた道徳教育はありませんが、昔から武士道と言う道徳観を共有し、それが日本人の素晴らしい道徳観を醸成してきたと言えます。だから、「自分だけ良ければ、周りはどうなっても良い。」という間違った個人主義や「金儲けが全て」と言った”さもしい”考えは、それを考えるだけでも不道徳であり、また、正しい事のために命を懸ける覚悟(正義の観念)というものが知らず知らずのうちにバックボーンとして心の中にあったはずです。日本が誇れる美しさとは、野山や海などの自然ではなく、整然とした街並みや美しい料理などでもない、世のため人のために生き、勤勉で、正しいことを整然と遂行する心の在り方だと思います。その美しい日本人の心が失われている証拠が今回の事故のように思います。手抜きをせず、見えないところこそ一生懸命に責任を持って遂行する、そのような日本の良いところが失われつつあるのです。全く持って悲しいことです。しかし、そんなことばかり言ってもこのような事故は減りません。もちろん、今回の社長はじめ、国やその他の関係者のような無責任な人間を無くすために、道徳を教えるのは大事ですので、やらなければならないと思いますが、それまで手をこまねいているだけでなく、やることもありそうです。例えば、事故などが起こる時には必ず兆候があり、1件の重大事故の前には29件の軽微な事故があり、その前には300くらいの”ヒヤリ”としたり”ハッと”したりする、事故にならないが一歩手前の事例が起こると言われています。(ハインリッヒの法則)そして、今の国の管理方法は重大な事故が起こって初めて営業停止等の執行をするわけですが、その前の軽微な事故では注意等で済んでいる例が多いように思います。つまり、大きな事故になって初めて実損が出る。それまでは、損が出ないので「ハイ、ハイ」と言うだけで、お金をかけて事故防止をしなくてもすんでしまう。という事になります。そうではなく、人の命に係わるものやことに対しては、軽微な事故が起こった時に運営者には実損が伴う処置をするなど、軽微な事故でも起こしたら損をするという事を理解させることが大事だと思います。また、国の検査もいい加減なもので、何か不足していても「今度直しといてね。」みたいな感じでその場を済ますなど、有名無実な検査方法も分かってきました。その際にも実損が伴う罰則を強化して、軽微な事故でも検査時の不備でも起これば大損するとなると、軽微な事故も検査の不合格も起こせません。そのためには、ヒヤリやハッとしたときには、何としても軽微な事故にならないようにと工夫や注意が生まれ、またお金をかけても対策を取るはずです。そうなれば、大きな事故につながる可能性が大きく減ってくるのではないでしょうか? もちろん、各業者にとっては痛いことだし、利用者にとっても大きな不便です。しかし、命を救うための我慢であれば、納得するのではないでしょうか? 今回の事故も時間とともに人々の記憶から消えていき、結局何も変わらず、また数年後に違うところで同様の人災事故となって現れたとしたら、今回犠牲になった人は浮かばれません。尊い犠牲を活かすためにも国の検査の仕方、罰則の在り方、そして長い目で見て日本人の道徳心の醸成に取り組んでほしいものです。 (あとがき) 何年か前に知床近辺で7月に船で観光したことがありました。7月と言うのに寒い事、寒い事、長袖でも寒くてぶるぶる震えていたのを思い出します。その時にも救命胴衣はつけていましたが、海に入ったらさぞ冷たいやろうなあ、と思ったものです。その時よりも5月の海は寒いだろうと思います。いまだ不明の方たちが一日でも早く発見されることを祈ります。

10日 5月 2022
写真は、今一番直近に撮ったものです。5月7日です。そして、昨日67歳になりました。おかげさまで至って元気です。タイトルの♪私は今日まで生きてみました♪で始まる吉田拓郎の「今日まで、そして明日から」という歌があります。歌詞は「誰かの力を借りたり、裏切られたり、人をあざけ笑ったり、助けてもらったり、周りに脅かされたり、また人と手を取り合って」今まで生きてきて、これからも同じように生きていくだろう、というものです。若いころは、「人間関係がどうした、とか、しかも今までもこれからも同じことの繰り返し? 面白みのない歌やなあ。」と、あまり気になる歌ではありませんでしたが、今この年になって見てみると、おもしろいもので、「まさにその通りだな。」と思います。これからも誰かに助けられたり、衝突したり、優しくしてもらったり、冷たい仕打ちを受けたり、出会ったり、別れたり、楽しい時や悲しい時を共有したり、結局は人とのふれあいやぶつかり合いの中でしか生きていけないもので、その喜びや苦しみが人生そのものだろうと思います。拓郎の歌は、後半こう続きます。♪私には私の生き方がある、それは自分を知ることから始まる♪しかし、そうは言っても、67年間それなりに生きてきて人間関係を築いてきても自分を知ることは難しいものです。でも、この年になって、ようやく一つ気づいたことがあります。私は、何か大変なことや「しまった!」という事があっても、2~3日くよくよしたら、自分でも不思議ですが、「何で悩んでたんやろ?」とほとんど後を引きません。これは何かと考えていて、ふと分かったのですが、あきらめが早いんですね。苦労して苦労して一つのことに執念燃やしてやり遂げる、そんな事が自分の人生では、あまりありません。上手く行かない事があっても、「しゃあない。」と次のことを考えて、物事に対して執着心が無く意外とあっさり諦めてしまいます。今頃何を言ってるのかと思われるかもしれませんが、「そうか、自分の性格は、そうだったのか!」このことが若いころから分かっていたら、その欠点を補うような策を用いて、仕事も人生も、もっと大成していたのではないだろうか、と大いに悔やんでいます。そう考えると、人間として最も素晴らしい、立派な人とは、「自分のことを知っている。」人だなと思います。自分の良い点も悪い点も知っていたら、その人に能力が無くてもすごいことができるわけです。例えば、カーネギーホールで有名な鉄鋼王カーネギーは、若いころから、自分には人に秀でた能力がない、だけど、自分より優れた人を使う能力に長けている。したがって、いかに人を動かすかに注力し、その結果、ロックフェラーに次ぐ、世界史上二位の大富豪になりました。その墓碑には、「自分より才あるものを集める術を知りたるものここに眠る。」とあるそうです。私も若いころに自分の欠点を知っていたら、今頃ビルゲイツになっていたかも、と思いながら、「いや、待てよ。」逆に、自分はすぐ諦めるということを知っていたら、将来、仕事で成功したり、会社で出世したりなど、初めから無理だと思って、今の人生すら、諦めていたかもしれないから、これで良かったんかも知れないな。などと考えているうちに、結局、平々凡々で特別なことがなかろうが、明日からも今日までと同じように生きていけることが幸せ、と言う結論になりました。拓郎の歌の最後の歌詞そのままです。♪そして今、私は思っています。明日からもこうして生きていくだろうと♪ みなさん、これからもよろしく。 (あとがき) 写真は、2~3か月に一度やっている「佐村杯」という私的なコンペで優勝した際の写真です。やはり飛距離は落ちてきてるし、これから上手くなることもないでしょうから、怪我だけしないように頑張ろうと思います。とか何とか口では言いながら、ドライバーを持ったら振り回して、「くそー!」と気合を入れてゴルフをしています。まだまだ枯れたゴルフはしたくないですね。目標は、85歳くらいになって84以下で周り、エージシュート(年より少ないスコアで回ること)をすることです。がんばります!

28日 4月 2022
この間、いつものように玄関に出てみると、不思議な場所に花が咲いていました。写真のように敷石の割れ目のほんの小さな隙間から、ポツンと可憐な花が咲いているのです。こんな過酷な条件でも生きてる、「生命力ってすごいなあ。」と思いながら眺めていると、ブルーとイエローの花がウクライナの国旗とダブって、私は勝手に”ウクライナ草”と呼んで応援しています。当のウクライナ情勢は、ロシアの進攻後2か月が経っても解決の糸口が見えず、さらに長引く様相です。テレビの評論家か達も年末まで続く可能性があるなどと長期戦を予想しています。勝手に進行してきたロシアに同胞を殺され悲しみの中、敢然と対抗するウクライナ国民を100%支持しますが、とは言えこのまま長引けば犠牲が増えることは確実で、そのほとんどの犠牲はウクライナの市民たちです。それを考えると、停戦をどうやって実現するかを考えなくてはなりません。その際に参考になるのが、1939年から40年にかけて起こった、旧ソ連とフィンランドの”冬戦争”ではないかと思います。今回のウクライナと同様、当時のソ連の理不尽な侵攻から両国の戦争になりましたが、数か月後に講和条約を結びました。国土の10%を失うと言うフィンランドにとって屈辱的な条件でしたが、これにより停戦が実現しました。フィンランドとその国民にとっては認めがたい苦渋の決断だったでしょうが、それにより、フィンランドは現在に至るまで独立を保ち、国家の主権も保っています。翻って、ウクライナですが、現在まで各国の支援はありながらも、それは物資や武器の支援でしかなく、結局戦うのはウクライナ国民、犠牲になるのはウクライナ市民です。アメリカやNATO諸国も口では支援と言いながら、自分たちの手は汚さないようです。そうなると、どこかで何らかの戦争を終えるための手を打たねばなりません。例えば、東部地域の一部をロシアに渡せと言うのは酷なことでしょうが、このまま国が消滅する危機が迫っているとすれば、まずは国家を存続させることを第一に考え、フィンランドのように捲土重来を期すことも選択肢ではないでしょうか? 国土の10~20%に相当する東部の親ロシア地域をロシアに渡す、もしくは50年間租借地としてロシア管理下に置く、などの講和条件にて停戦に持ち込む。そして、それは当事者同士だけでやっていては、恨みや意地など複雑な感情も入るので、第三者が提案することが望ましいと思います。本来それをするのが国連等の機関でしょうが、今の国連など、ほとんど役に立たないお飾りみたいものですので、やはりアメリカ辺りが何らかの講和条件をロシア、ウクライナと秘密裏に交渉することが必要のように思います。ドイツの初代宰相ビスマルクが言うように、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ことが大事ではないでしょうか? 日本においても例えば、徳川家康などは、信長からの妻子の処分や過酷な援軍要求、また秀吉からの突然の国替えにより祖国を捨てねばならないことなど、何回も理不尽な要求に耐え、最後に天下を取りました。ウクライナも過酷な条件ではありますが、硬い石の間から美しい花を咲かせることもできるので、ここはまず生き延びて次世代に望みを託してみてはどうでしょうか? ウクライナからは、遠い東の果ての島国の何の力もない一市民の願いです。 (あとがき) フィンランドには一度行ったことがありますが、森と湖に囲まれた静かな国です。昔からロシア(ソ連)にいじめられていたことから、日本のことは好感を持って接してくれます。それは、日本という小さな島国が昔、大国ロシアに戦争で勝った(日露戦争)ことを知っているからです。その時の将軍、東郷平八郎はフィンランドで”TOGObeer”として、瓶ビールになっていました。そのラベルには、東郷平八郎の似顔絵があり、その東郷ビールを飲みながら山盛りの茹でたザリガニを食べたことを思い出しますが、今、フィンランドで平和にビールが飲めるのは、過去に国土を侵略されながらもしぶとく生き抜いたからではないでしょうか。ウクライナにも早く平和が訪れて、皆が安心してビールを飲める時が来るのを心より願っています。今回は少し早く更新しました。次回更新は、5月10日ころです。

20日 4月 2022
大きな戦争が起こるずいぶん前、肥後の国熊本の農家で一人の女の子が生まれました。小さなころから目がぱっちりと大きく、両親やお兄さんお姉さんからずいぶんかわいがられて育ちました。ただ、小さい時から体が弱く、小学生のころには長い間学校を休まねばならないとほどで、周りの人はみんな「この子は長生きできないだろう。」と思っていました。それから数年、お花が好きな少女は、いつもお花を摘んだり、お花の絵をかいたりと幸せに過ごしていました。何年かして小学校を卒業するころになると、少女は女学校に行きたいと思うようになりました。ところが田舎の農家ですから小学校を出ると家を助けるために働くのが当たり前で女学校になんか行けるはずがない、やっぱりあきらめようと思った時に厳格で村の区長などもしていた少女のお父さんが、「女学校に行きなさい。後は心配しなくていい。」と言ってくれたのです。やはり、少女の体が弱いので今のうちに希望をかなえてあげようと言う親の気持ちだったのだろうと思います。少女は喜んで女学校に行き始めます。ところが大きな戦争が起こり、日に日に食べるものが無くなったり、学校へ行くより武器を作る工場に行ったり、竹やりの訓練をしたり、挙句の果てに熊本の田舎にも敵の飛行機が来るようになり、ある日の帰り道では、すぐ横を機銃の弾丸がかすめ、生きた心地がしなかったそうです。そんな、暗い時代も終戦で大きく変わり、少女も女学校を卒業し美しい娘さんに成長しました。村でも評判の美人さんですから、大きな土地を持った地主の子や隣村からもたくさん嫁に来てくれとの話がありました。そんな中、隣の村の貧しい農家の三男坊で小学校を卒業すると同時に予科練と言う軍隊に入隊し、特攻隊で敵艦に体当たりをする1週間前に終戦になった運のよい青年がいました。その青年は娘さんより4つ学年が上、体が大きく近所でも有名なガキ大将で喧嘩に明け暮れてるような少し乱暴な人でした。ただ、三男坊という事で熊本から福岡県の八幡に出てきて、製鉄所に勤務しており、いわゆるサラリーマンでした。青年は八幡から実家の熊本に帰るたびに娘さんのことが気がかりでした。戦争に行く前から可愛い娘さんで、いい娘だなあと憧れてはいましたが、自分なんか貧乏だし三男坊で財産も無いし、とても来てくれないだろうと諦めていました。ところが、娘さん のお父さんは、「この子はお百姓さんでは体がもたないだろう。」と他の良い条件の縁談をすべて断り、体の大きな青年に嫁がせました。娘さんは20歳を過ぎたばかりでした。青年は、飛び上がって喜びました。「一生かけて、この人を大事にしよう。」と誓いました。それから、二人の八幡での生活が始まりますが、最初は6畳一間の間借りです。給料も安いし、娘さんは誰も知った人がいない都会に出てきて戸惑う事ばかりです。でも青年は娘さんのために必死で働きました。休むのも忘れて夜も昼も人の分まで働き、遊ぶことは一切しませんでした。その後、21歳で長女を生み、24歳で長男を生みました。二人にとって子供は宝でした。自分たちは一切贅沢せず我慢して、時々、子供にはしゃれた洋服を買って着せたり、子供が夜、おなかが痛いとか、どこどこが痛いと言うと夜にもかかわらず、背負って病院に走りました。ある時、少しずつためたお金で小学生の息子の誕生日にちょっといいズボンを買ってあげました。喜んだ息子は急いで遊びに行きましたが、帰った時にズボンは泥だらけ擦り切れて穴が開いていました。せっかくのズボンを泥だらけにしてガッカリです。でも「まあ、元気な証拠だろう。」と夫婦は笑っていました。そんな貧しくても幸せな家庭を築いた二人ですが、その後も娘さんの体はたびたび病気に襲われました。でも、夫婦二人手を取り合って頑張り何とか乗り越えていきました。息子を大学まで行かせて、子供たちも成人し、夫婦二人の生活になったころからは、病気と言う病気もせず穏やかな生活を送れるようになりました。きっと、若いころに苦労したご褒美を神様から頂いたのでしょう。さらに夫婦は、それぞれ年を重ね、青年が定年を迎えてからは、それまで行けなかった旅行などにも何度も行きました。たまには、美味しいものも食べれるようになりました。「若い時に苦労した甲斐があったね。」と言いながら、二人は互いを補い幸せな時を重ねました。あまり長生きはできないだろうと言われていた娘さんも、気がついたら、結婚して70年を迎え、娘さん91歳、青年も94歳、その間、夫婦の親も亡くなり、それぞれの兄弟や友人たちもほとんど亡くなって、おじいちゃんとおばあちゃんになった二人ですが、「さあ、二人でもうちょっと頑張って生きて行こう。」と言ってるときに突然おばあちゃんの体に異変が起きました。以前患った病気が再発したのです。ちょうど桜が満開の時に「治療が難しいかも。」と医者に言われ、桜が散ると同時に命の灯も消えました。母が亡くなりました。世界中が敵になったとしても最後まで味方してくれる優しい母が亡くなりました。棺の中には好きだったお花を溢れんばかりに入れました。火葬場で最後の別れをするときに、それまで黙っていた父が大きな声で「ばあちゃん、ありがとう!」と声を掛けました。きっと、その気持ちは届いたことでしょう。安らかに眠ってください。 葬儀の後に母が書いていた日記のようなものがあり、父が見ていました。その中には、「明日、信哉が帰ってくるからうれしい。」とか「信哉が〇〇してくれた。」「信哉が・・・・」と私のことが何回も出てきたらしいです。私はとても読めません。なぜ、もう少し親孝行をしてやれなかったのか、後悔だらけです。いくらやってもこれで良いと言えないのが親孝行でしょうが、もう一度同じ人生を送るならば、あと100倍でも親孝行をしてあげたのにと悔やんでいます。後悔先に立たず、あとは残った父にせいぜい親孝行をしたいと思います。 (あとがき) たまたま、いい絵がないかとネットで探していたら、写真の絵がありました。大正15年の「少女世界」と言う雑誌の中の1ページです。そこに「春の堤」と言う詩がありました。それは「春の堤に在りし日の、君のすがたをしのぶなん、日はまざまざと照らせども、赤き鼻緒はそこになし。」と言う詩です。葬儀の時も良い天気で新緑の緑に野の花がそれは奇麗に咲いていました。悲しい事ではありますが、その内、年取って人生の終わりが近づいたとしても、また優しい母に会えると思うと、楽しみができたように思います。それまで、一生懸命生きようと思います。 今回は、全くのプライベートなことで申し訳ありません。

10日 4月 2022
写真は、10年ほど前に京都で村田選手の試合があった時に撮った写真です。試合の後でありながら、ほとんどダメージを受けておらず、口調も滑らかで頭の良い人だなあと感じたのを覚えています。その後、世界王者にまで上り詰めた村田選手が同級の他団体の世界王者ゲンナジー・ゴロフキンとの間で、お互いのチャンピオンベルトをかけた戦いが昨日、日本で行われました。結果は、村田のKO負けで残念ではありましたが、まずお互いのチャンピオンベルトをかけて戦おうと言うチャレンジャー精神に”あっぱれ”です。と言うのも現在のボクシング世界チャンピオンは、4つの団体がそれぞれ17階級でチャンピオンを認めており、さらに「スーパーチャンピオン」「暫定チャンピオン」など、よくわからないチャンピオンがいて、誰が本当に強いのか、誰が真の世界チャンピオンか、さっぱりわからなくなっています。中には、所属事務所の策略で弱い相手と防衛戦を組んで、とりあえずチャンピオンとして長く稼がせると言ったケースもあるようです。そんな中、このゴロフキンと言うのは、村田選手が昔からあこがれる絶対王者で、戦績も42勝1敗(ちなみに村田選手はこの試合前まで16勝2敗)と圧倒的な強さです。村田はWBAと言う団体、ゴロフキンはIBFと言う団体の、それぞれ世界王者で、お互いが対戦しなければ、それぞれ世界王者として君臨できたわけですが、どちらかがチャンピオンベルトと名声を失うリスクを冒しても、真の王者を決めたいと言う姿勢は、どこか、剣の道を究めようとより強い相手を求める昔の剣豪を彷彿とさせます。特に下馬評では圧倒的にゴロフキンが有利という評価でしたので村田側はまさにチャレンジですね。しかし、そんなチャレンジしようという精神が人をひきつけ、感動させるのだと思います。周りから負けると言われても”なにくそ”と頑張っている人、何回も失敗しながら成功を信じて挑み続ける人、誰も協力してくれなくても孤軍奮闘、一人ででもやり遂げようとしている人。世の中、周りを見れば結構そんな人がいるように思いますね。村田選手のように有名な人でなくても、すぐそばにもコロナで苦労しながら頑張っている人、病気に苦しみながらも希望を持って立ち向かっている人、会社や学校の中で誰にも知られず逆境と戦っている人、そんな人たちに村田選手のチャレンジは勇気を与えてくれたように思います。人間チャレンジしなくなったら、生ける屍と一緒で人生終わりですね。村田選手のチャレンジを見て、いくつになっても、大きなチャレンジ、小さなチャレンジ、自分なりのチャレンジを死ぬまで続けたいと思いました。みなさん、がんばりましょう! (あとがき) 村田選手と会った時にサイン入りボクシンググローブをプレゼントしてもらいました。その時に直筆の手紙ももらったのですが、その中に「佐村社長へ、・・・中略・・・、今後しばらくは東京や海外で試合を続けます。私個人としては、その後世界王者になり京都で凱旋試合をしたいと思っています。応援よろしくお願いします。」と便せん3枚に一生懸命に熱く語ったものでした。凱旋試合はありませんでしたが、テレビで充分に感動させてもらいました。村田選手、ありがとう! それから、1点お詫び・・・3月29日の「民主政治の危機 No.148」を冒頭で更新していませんでしたので、読んでない方は、そちらも読んでみてください。今日の選挙について書いています。

29日 3月 2022
民主政治の危機は、ウクライナのことではありません。身近なところから考えてみたいと思います。さて、京都府知事の選挙が4月10日に行われます。ここ数回いろんな選挙のたびに、毎回思うのですが、投票しようとしても票の「入れようがない!」今回も自民や立憲民主、公明、国民等が推薦する現職候補と共産党推薦の候補の二者択一です。現職候補ではダメと感じていても共産党の候補には入れたくない場合、どうしたら良いのか?選択の余地がありません。こんな状況が、1947年に知事を公選するようになってから、19回ずっと続いています。厳密に言えば2回ほど、共産側に社会党などが共同で支持しましたが、第9回の府知事選を除くと全て上位の二人で得票の90%以上を取っています。そして、私が京都に来てからの選挙で「どっちが勝つかなあ。」と思って開票を見ることがほとんどなく、すでに結果は決まっていたように思います。それでも、もし共産党が候補を出さなければ、無投票だったという事になりますので、考えたらひどいですよね。専制国家のように自由に選べないことも大きな危機でしょうが、今の選挙を見ると、”選べない”と言う意味では、同じようにも感じます。その結果、府知事選の投票率は、前々回2014年、前回2018年と続けて30%台です。年齢別にみると、特に20代の人はもう少しで投票率が20%を切る状況です。そんな状態で選挙に勝ったからと言って「皆様のご支持の賜物です。」などと言って、万歳三唱しているようでは情けない限りです。もっと危機感を感じてもらいたい。このことは府知事だけでなく京都市長選にも言えます。また、京都だけでなく全国のあちこちで同様のことが起こっています。このままでは、ますます投票率が減っていき、その内に投票に行っても仕方ないので行かない人ばかりになれば、選挙がない専制国家と同じで勝手に誰かが首長や議員を選んで、好き勝手なことをしないとも限りません。これを変えるためには、以前にも言いましたが、議員や首長の権限を高め報酬等の見返りも大きくし、優秀な人たちが、こぞって「自分がなって地方自治体を、そして国を変える!」と続々と立候補したくなるようにし、その成果によってさらに大きな報酬等も見込める。起業して社会を変えて、結果大きな見返りがあるのと同じように地方自治体と言う法人、国と言う法人をもっと豊かにして、その結果は起業するのと同じか、もしくは、それよりも大きい見返りも期待できるようにする。有権者は、そのことを許容することから始めないといけないと思います。選挙のたびに「ほかにおらんのか?」と言う嘆きの声が全国から聞こえてくるようでは、結局、損をするのは自分たちですから、自分たちの代表には、ドーンとはずんでやることです。そんな勝手なことを言いながら、さて府知事選挙、行こうかな、どうしようかな?・・・・・。行って白票を出そうかな、などと考えている次第です。 (あとがき) 「そんなに文句があるなら、お前やれ。」と言われると、人生経験で一度くらい立候補してもいいかなと、考えないでもありませんが、最低の得票が1974年のある候補者の679票でした。供託金300万円を没収され(有効投票数の10%未満、前回で7万票程度以下で没収される。)結局、過去最低投票と言う恥ずかしいレッテルだけが残るような気がするので、私はやめときます。誰か立候補しませんか?

20日 3月 2022
出口の見えないウクライナ情勢ですが、トップであるゼレンスキー大統領のコメントが連日のように報道されています。元々はコメディアンでドラマで演じた大統領の役が好評だったことから本当の大統領になったという、普通は信じられない漫画のようなストーリです。政治は素人だし、ロシアのウクライナ進攻までは、そんなに国民の支持も高くなかったリーダーですが、現状の姿勢は立派なもので、有事のリーダーとして素晴らしい行動だと思います。まず、逃げないこと。これは侵攻されて犠牲を余儀なくされている国民から見ると、何よりの救いではないでしょうか。危機に陥って、トップがスタコラサッサと逃げ出すようなことでは、下の者は誰に救いを求めたらよいのか、そうなると、その後は、ならず者国家にやりたい放題好き勝手にやられて、あっという間に国家は崩壊します。(アフガニスタンのように)そして次に素晴らしいことは、国内外にトップ自らの言葉で分かりやすく発信し続ける事。この発信力も有事のリーダーには必要なことだと思います。昨年の菅前総理など、やっていることは悪くないのですが、コロナと言う有事において、余りにも発信力が足りず、国民から不信を招いてしまいました。ところが、最近のテレビなどでは、「ゼレンスキーが頑張ることでウクライナの国民が犠牲になっているので、早く降参した方が良い。」と言った発言も聞かれます。また、「ウクライナ国民も戦わず、逃げなさい。」と言う人も出てきました。確かに犠牲が増えているのは事実ですが、ちょっと脅されたら、「すぐに降参して、ならず者の言いなりになれ。」というのは敵の思うつぼで、それこそプーチンが望んでいることです。理不尽に家も土地も財産も取られ、家族や親せき友人が殺されたら、国から逃げ出して、自分の命だけが助かっても、それで何が幸せでしょうか? さあ、今から死ぬか生きるか、二者択一と問われれば生きる方を選ぶでしょうが、逃げたら生きる可能性は70%、戦って勝って生き残る可能性が30%なら自分の手で戦って勝ち残ろうと思う人も多いと思います。仮に80:20でも90:10でも最後まで戦う覚悟の人も多いでしょう。それを平和ボケした日本で逃げなさいとは、私は言えないですね。国を守る手段もなく、ちょっと脅されたら皆逃げ出すような国は、ならず者にとって、こんなやりやすい事はありません。まず、ならず者が手を出さないように、こちらも力をつけること。(あの国は一筋縄ではいかない、と思わせる核も含めた軍備増強と友好国との連携強化)そして、いざとなったら、そう簡単に降伏しないという国民の覚悟、その二つを今回のウクライナ問題の教訓として、一歩前に進めることが極めて重要だと思います。相手は議論が通じない、もちろん国際法なども通じない”無法者”です。そこに対して話し合いで何とかなると思ってたら大間違いなことは今回はっきりしました。日本にはいまだに戦争放棄・軍隊を持たないことを理想とする人たちがいますが、愚かなことだと思います。昔、柔道一代と言う村田英雄の歌にこんなセリフがありました。♪いかに正義の道とは言えど、身に振る火の粉は払わにゃならぬ♪ (柔道の技は力を誇示するために使ってはいけないが、相手が理不尽に襲い掛かった場合は、必要に応じて使う。)まさに日本が今取らないといけない道のように思います。 さあ、翻って我が国のリーダー岸田総理。「人の話を聞く総理」と自分で言ってトップになった人ですが、確かに周りの話はよく聞いて、何か言われたら、あまり反対せずに政策を決めているようです。その意味では、人の話を聞くと言うより、人の言いなりになる総理、との印象が強いように思います。2022年3月20日現在、突然降ってわいたように検討されている「年金生活者への5000円の給付」も、周りに言われて、あっという間に決めようとしていますが、こんなバカげた参院選対策としか思えないバラマキを国民が支持すると思っているのでしょうか? 今後、もう少し、反対意見が出てきたら、あっさり引っ込めるような気がしてなりません。また、ウクライナ対応の話もほとんど紙を見ながらの発表で「G7諸国の動向に合わせて・・・」と言うばかりで自分の言葉で話していませんし、内容も日本独自の施策などほとんどありません。どこか、他人事のようでウクライナの人が見たら、日本は頼りにならんと思うでしょうね。それはウクライナだけでなく世界中が日本の対応を見ています。中国が台湾を攻め取り、尖閣を占領し、与那国や石垣島に上陸してきた時に、ヨーロッパの連中は、遠い島国のさらに小さな島が取られたくらいで、どこまで本気で応援するでしょうか?そんな時に応援してほしかったら、ウクライナも遠い国のことと考えずに、近くの国が攻められているつもりで真剣に応援するべきですが、人の話を聞いてばかりで、そのうち終わってしまいそうです。そういえば、何日か前に岸田さんが手を振り上げて、珍しく大声で会場の人たちを鼓舞する姿がテレビに映っていましたので、何かなと見てみると案の定「来るべき参院選、勝ち抜こうではありませんか!」ウクライナのことには淡々と紙を読み上げているのに、自分らのことにはそれだけ必死になるんかい! 残念だねえ。でも、もっと残念なのは、自民党に代わる政党がないという事かもしれません。人の話を聞く平時のリーダーの岸田さん、是非、有事にもリーダーシップを発揮して、日本を良い方向に導いてほしいと切に願っています。 (あとがき) 有事のリーダーとは、難しいものですね。国と言う大きな組織だけでなく企業においてもそうです。いざと言う時にどれだけ頼りになるか、日ごろから考えておかないといけないでしょうね。それと、もう一点、柔道一代で思い出しましたが、プーチンは柔道家で「プーチンと学ぶ柔道」と言う本も出しています。そしてプーチンは過去「大切なことは、全て柔道から学んだ。」と言ってました。しかし、柔道の昇段試験には筆記があって、真っ先に問われるのが、柔道の精神です。答えは、「精力善用、自他共栄」です。自分の力は世のために使え、そして互いに信頼し助け合うことで自分だけでなく他人も世界も平和になることを目指せ。と言う意味です。今のプーチンの行動は真逆ですね。世界柔道連盟は、プーチンの黒帯をはく奪し、「今後一切プーチンと柔道は無関係である。」と宣言してはどうでしょうか? 案外、国民が困る経済制裁なんかよりもプーチン本人には効く策かもしれません。

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