大物 No.143

昭和から平成へ、時代の流れの中で常に存在感を示した”大物”が逝きました。写真の石原慎太郎です。肩書は「元東京都知事」「元運輸大臣」「作家」等々いくつかの肩書がありますが、元大臣など山ほどいますし、元都知事、府知事など、その名前を思い出さないような人もたくさんいます。そんな肩書以上に、亡くなった時の報道のありようは大物ぶりを示していました。その異例ぶりを如実に示したことがあります。石原慎太郎は一度、自民党の総裁選に立候補していますが、その時に敗れた相手が第76代総理大臣の海部俊樹です。奇しくも今年の1月に海部さんも亡くなりましたが、報道の仕方は元総理の何倍も何十倍も多くの時間を割いています。どちらが日本のトップだったのか、と間違うほどです。その理由は、昭和の大俳優、石原裕次郎のお兄さんという事もあるでしょうが、何と言ってもはっきりものを言う、その生き方が多くの人に強い印象を与えたからです。中国のことを「支那(しな)」と言ってはばからず、時の総理や海外のトップに対しても思う事をストレートに意見する。その態度に喝采を送る人も多く人気も高かったのですが、それだけはっきりものを言うと当然ながら強い反対も出てきます。そんなことを露ほども気にせず最後まで生きたこの人は、純粋で不器用な人だなと思います。もう少し、権謀術数を使える人なら、あっという間に総理大臣にもなれたでしょうし、政党の党首、ドンとしてもっと長く政治に携わって行ったのではないかと思います。(本人が望んでいたかどうかは知りませんが。)それと、白黒はっきりさせることができる人は、そのことについて一生懸命に考えているから、白か黒か言えるわけで、中途半端にしか考えてない人は、なかなか断言できないものです。中国のことも歴史から毛沢東語録、その他いろんな勉強もし、「中国は嫌いではないが、中国共産党が嫌いだ。」とはっきり言ってます。それだけ、旗幟鮮明(きしせんめい)に自分の態度をはっきりさせることは、凡人には難しいことです。また、石原慎太郎と言うと記者に「もっとましな質問をしろ!」とか常に上から目線で「若いもんは、もっとしっかりしろ。」などと言うのでいつも高飛車かと思いますが、東日本大震災の際に東京の消防士たちが原発の処理に行って都庁に表敬訪問した時には、人目をはばからず涙を流し、「日本を救ってくれて本当にありがとう。」と心からの言葉をかけています。そんな人の情けを知る態度もこの人の魅力の一つでした。それに比べると、当時の管直人総理が、福島原発の現場を相手に怒鳴り散らして混乱させた偉そうな態度とは、対照的です。何はともあれ、その時代時代で日本人の目を覚ますような発言をした石原慎太郎は、一言でいうと、やっぱり「大物」でした。もう少し長生きして、ガツンと物議をかもす発言をし続けてほしかったですね。最後に石原慎太郎語録からなるほどと思うものを一つ、「人間は、自分の弱さのせいで死ぬほどつらい、もしくは死んだほうがましだと思うような辛さを味わう事が必ずある。その時、他人は同情してくれるが、最後は自分一人でギリギリの選択をせねばならない。しかし、それをくぐらなければ一人前の人間になれないものだ。」「人生が順風満帆だとしたら自分の人生には何も得られない。」・・・なかなか良いことを言うなと思いますね。「靖国に行って何が悪い。」「支那と言ったらいけないのか!」などと挑発的な発言が多い人でしたが、さすが作家、いろんな発言の中には心を打つものもあります。日本は、惜しい人を無くしました。ご冥福をお祈りします。

 

(あとがき)

石原慎太郎の言葉で面白いものをもう一つ、「アサヒってのは、飲むもんで、読むもんじゃねえ!」(よお、名人!)座布団五枚くらいあげたいですね。今回は少し早く更新しましたが、次回は20日前後に更新します。

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