スポーツの力 No.186

私の実家は福岡県中間市と言うところにあり、その中間市出身の有名人は、まず高倉健さん。そして、地元で二番目に有名なのが、元西鉄ライオンズ黄金時代に名二塁手として活躍し、その後近鉄やオリックスの監督を務めたた仰木彬(おおぎあきら)さんです。その仰木監督が、オリックス就任2年目の1995年1月に起こったのが阪神淡路大震災でした。6400人を超える死者と全壊半壊含めて24万軒と言う大参事に地元の神戸は大打撃です。そんな野球どころではない状況の中、「こんな時に野球をやってていいのか。また、できる環境にもない。」との声が上がりましたが、自分たちには野球しかないと、「がんばろうKOBE」を合言葉に監督選手たちは立ち上がりました。結局その年、11年ぶりのリーグ優勝を果たし、がれきの山の中で前に進む気力も出なかった人たちにとっては、どれだけ勇気づけられたことでしょう。それから、月日が流れ12年前の2011年3月11日、東北でさらに大きな震災が起こりました。この時は2万2千人と言う死者数に加え、関東まで広範囲に被害が出たことと津波で町中が無くなると言う深刻な事態も見られ、プロ野球の開幕は当然のごとく危ぶまれました。そんな中、その年の4月29日に行われた被災地仙台のKスタ宮城球場開幕式での楽天嶋選手会長のスピーチは感動的でした。要約すると「震災のあった時に自分たちは神戸にいました。ようやく5日前に選手みんなで仙台に帰ることができました。変わり果てた姿に申し訳ない気持ちで一杯でした。その時に皆さんから、お帰りなさい、自分たちもまけないから頑張ってね、と声をかけていただき、ただただ涙を流しました。その時に誰かのために戦う人間は強いと確信しました。今スポーツの域を超えた野球の真価が問われています。見せましょう、野球の底力を。見せましょう、野球選手の底力を。見せましょう、野球ファンの底力を。東北の皆さん、見せましょう、東北の底力を!」この言葉にどれだけ多くの人たちが勇気づけられたか、それから2年後に東北楽天イーグルスは日本一に輝きました。たかがスポーツではありますが、頑張っている選手たちを見ると、自分の境遇と重ね合わせて「よ~し、自分も頑張らないと。」と力が湧いてくるものです。他にも古くは、1984年ロサンゼルスオリンピック柔道山下の金メダル、相手のエジプトラシュワン選手は、山下選手が準決勝で痛めた左足を一切攻めずに堂々と戦ったことも称賛されました。2001年5月場所での横綱貴乃花が、右膝故障で立っているのもやっとと言う状況で武蔵丸に決定戦で勝った時の鬼の形相。これには、当時の小泉首相が「よく頑張った。感動した!」と言って賜杯を手渡し場内を沸かせました。その他、

ラグビーWカップで南アフリカに勝った時、なでしこジャパンがWカップ優勝した時、オリンピックでの震えるような感動シーンなど。スポーツの持つ力は単なる勝ち負けを超越した偉大なものがあります。そんな中今まさに、WBCが開幕します。たくさんの期待選手が活躍してくれることを信じていますが、中でも岩手県陸前高田市出身の佐々木朗希は、あの震災で当時37歳だった父親と祖父母を亡くし、大船渡に移住することを強いられました。そんな佐々木君に自分を重ね合わせて、応援している人もたくさんいる事でしょう。佐々木選手はじめ侍ジャパンの活躍を期待しています。勝ち負けは別にして、スポーツの良さは、勝てば勝ったで嬉しいし、負けても、石にかじりついて立ち上がってくる、その姿にまた感動して、自分も明日から頑張ろうと言う気になれるものです。作り物でない真剣勝負は、いいもんですね。

 

 

(あとがき)

スポーツはいいなあ、と書きながら、それこそ世界ではスポーツどころじゃない、と言う国がたくさんあります。戦争、貧困、飢餓、伝染病、もちろん自然災害等々。今苦しいとしてもスポーツを見ながら応援できる環境と言うのは、恵まれているな、と思います。日本でも80年ほど前の戦時中は、スポーツどころではありませんでした。どんな状況にあってもスポーツができる、それを見れる、そのことがどれだけ大事で貴重なことか、心に刻んでおこうと思います。次回は20日ころに更新する予定です。

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