最初に(続きを読む)をクリックしてください。
写真は、2007年に公開された「スリーハンドレッド」の映画ポスターです。100万のペルシャ軍に対して、勇敢にも、たった300人のスパルタ軍の強者(つわもの)たちが戦いを挑むと言う、手に汗握る面白い映画です。
さて、2018年2月に始めた私のブログも、今日で300回を迎えました。スパルタ軍の300は、鍛え上げられた強者ばかりですが、こちらの300は駄作の雑文ばかりで偉そうなことは言えませんが、10日ごとの更新ですから、その間、約3000日(8年と2か月)で、ようやくここまで来ました。お付き合いいただいてる皆さん、本当にありがとうございます。
とは言いながら、はっきり言って10日に一回の更新は、めんどくさいと思うときも多々あり、「一体このブログを書くことで自分に何の得があるんだろうか?」と時々考えるのですが、逆に、もし書いていなかったら・・・・・。多分、書くネタを探す必要が無いので世の中の流れに疎くなり、好奇心も薄れ、文章を書く機会が減って、脳を使うことも無くなれば、若干認知が進んで、今頃は家族が「お父さん、どこの老人ホームに入れようか?」などと真剣に話し合っていたかもしれません。そう思うと、こんな稚拙な雑文を読まされている皆さんには申し訳ないですが、自分のボケ防止と「まだまだ、元気に頑張ってます。」と言う安否確認のためには、このブログ、ちゃんと機能しているようです。
ただ、ブログを読んだ方から「大変参考になりました。」とか「今回の話は、納得感ありますね。」「これからも、長く続けてください、」などと、お褒めの言葉をいただくこともあり、暖かい激励が本当に励みになってます。
そもそも、私のブログなど所詮素人の稚拙な雑文であることは間違いありませんが、世の中「雑」などと言う字を使えば、”それらはどうでもよい無意味な物”というレッテルを貼られ、隅っこに追いやられるきらいがあります。いわく、雑魚(ざこ)雑用、雑草、雑貨、雑談・・・・。果たしてそうでしょうか? 元ノートルダム清心学園理事長でベストセラー「置かれた場所で咲きなさい。」などの著者でもある渡辺和子さんは「一生懸命やっていれば、それが一番。」「世の中には”雑用”などと言うものはありません。自分たちが、用を雑にした時に雑用が生まれるのです。逆にいくら立派な仕事でも雑にやれば、それが雑用だ、と言われてしまいます。」と言われてますし、「雑草と言う草はない、どんな草にも名前があるのだ。」これは、植物学者牧野富太郎博士の信念でもあり、「全ての草には名前があり、それぞれに役割や生き方がある。」と語って、一つ一つの小さな生命にも敬意を表しています。だから、私のブログも一生懸命に書いているので、「雑で無駄なものではないよなあ。」と勝手に思っています。
また、”雑”以外にも”余”りと言う言葉も、余命、余生、余暇、余談などと、どうでもよい物、要らない物の例えとして使われますが、道元(曹洞宗の開祖)の言葉に「一生をかけて求めて行かねばならない”生”に余るところなどない。」とありますし、空海も同じようなことを言ってます。他に石原慎太郎なども晩年「人生に余生などない、死ぬまで本番だ!」とはっきり言ってましたが、その通りですね。ダラダラと時間の過ぎるのを待つだけの人生など、面白いはずがありません。雑多な物、余り物、その他大勢の名もなきもの・・・・私たち一人一人もそうですが、はっきり言って大した力もないし、歴史の上では「その他大勢」ですが、活かされている毎日を一生懸命に生きる。今の境遇を嘆く前に全力を尽くす、その結果はとても世の中を変えるような大きなものでなくとも、自分のできる範囲でやれることをやる。人生、「何がやれたか?」を考える前に「どう生きたか?」の方が重要ではないかと思います。
桃栗三年柿八年、つまらないブログでも八年頑張りましたが、その些細なことの繰り返しも大事なことの一つかな、と思います。たかが私のブログから、人生の生き方まで飛躍しましたが、これからもできる限り、拙い雑文を余力のある限り、余った力ではなく全力で続けて行こうと思います。
これからもよろしくお願いします。
次回、301回目は5月10日前後の更新です。
