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写真の観光都市は、トルコのイズミルというところです。ここは、ある一定の年代の方には懐かしいポール・モーリア管弦楽団の「エーゲ海の真珠」と言う曲の舞台と言われている場所です。こんな美しい街で昔、大きな悲劇があったこと、そしてその悲劇の中で日本人と日本武士道が残した素晴らしい足跡があったことを知る人は少ないでしょう。
と言うことで、今日は、日本ではなじみのない話、「君は東慶丸(とうけいまる)を知っているか。」と言うテーマで進めて行きます。話は、100年ちょっと前の1922年9月の事です。当時は、ここイズミルは、ギリシャの領土で名前はスミルナと呼ばれ、今と同じようにエーゲ海に燦然と輝く真珠のように魅力的な都市でした。ところが、その年にギリシャとトルコが戦争を始めると真珠のような都市も戦禍に覆われ街が紅蓮の炎に包まれます。街中を覆う火災は瀟洒な建物を燃やし尽くし、人々は逃げまどいますが、逃げる場所もなく、炎に追われ大勢の人々が海岸まで追い詰められます。後ろからは街を焼き尽くした炎が迫り、前は岸壁、その向こうは海です。海上にはイギリス艦21隻、フランス艦、アメリカ艦それぞれ3隻など各国の軍艦が多数見えます。しかしながら、各国とも、ギリシャ、トルコどちらにも加担したくない、また規則などに縛られて、立派な軍艦たちは沖に停泊したまま、一隻たりとも動こうとしません。目の前には、そのままでは焼け死んでしまうスミルナの市民たちがいると言うのに・・・・。その時、日の丸を掲げた一隻の民間船が岸に近づいてきます。それは日本の古川鉱業所有の「東慶丸」と言う商船で、陶磁器や絹織物などを運んできた船でした。東慶丸の船長、日々佐三(先回の海賊と呼ばれた男も佐三さんでしたが関係はありません。)は、その悲惨な状況を見て、船員に躊躇なく命令します。「積み荷をすべて捨てよ。そして、岸壁の避難者を乗せれるだけ乗せよ。」簡単に言いますが積み荷は現在の価値にして数十億円、それをすべて海に捨てて、その責任は誰がどう取るのか、果たして日本に帰れるのか?船員たちは戸惑います。その時、日比佐三船長は船員たちに諭すように「積み荷は、またいつか金で買えるかもしれんが、人の命は二度と戻らない。日本人としてこの人たちを見捨てることはできない。」その言葉に船員たちも覚悟を決めます。数十億円分の積み荷を海にどんどん捨てて、乗せれるだけの人を東慶丸に乗せます。そうして、総勢825名を乗せた後、船員たちは自分たちの食料を全て分け与え、けが人の手当てをし、寝る場所もけが人に明け渡し甲板で過ごしながら、安全な場所へと航海を続けました。その時、追ってきたトルコの軍艦が行く手を阻もうと東慶丸に近づいてきました。相手は助けたギリシャと戦争をしている敵国トルコ、しかも軍艦です。こちらは、普通の商船。発砲されたら一発で沈没です。その時、日々佐三船長は、日の丸をさらに大きく掲げ、「ここにいる人たちは、わが日本の客人である。引き渡すことなどできない。」「もし、危害を加えるようなことがあれば、日本を侮辱したとみなす。」と毅然とした態度で言い放ちました。これにはトルコ軍も何もできず、結局、見逃すことになります。そして、ギリシャのアテネで全員を無事下ろすことができました。
この話は、日本ではほとんど知られていないのですが、ギリシャでは長く言い伝えられている話で、東日本大震災の時も財政破綻していたギリシャが、台湾と同じく真っ先に支援の手を差しのべました。これは、その時のことをギリシャの人たちが忘れていない証拠だと言いますし、また、2017年にはこのことを「TOKEIMARU」と言う短編映画にして映画祭などにも出品しています。なぜ、これほどギリシャの人々の心に残っていることが、日本ではほとんど知られていないのか?それは、前回の出光佐三もしかり、何万人ものユダヤ人を助けた樋口季一郎も、撃沈された敵艦の乗組員を一人残らず助けた工藤俊介も、もちろん今回の日々佐三船長も、誰もが異口同音に「特別なことはしていない。日本人として当たり前のことをしただけ。」と思っていたので、自慢げに周りに話すこともなく、自分から記録に残すこともなかったからと言う理由が大きいと思います。あんな素晴らしいことをやったのに「日本人として、当たり前のこと」・・・・未来は、こう言うことを平気で言える日本にしたいですね。
(あとがき)
東慶丸を追ってきたトルコの軍艦が、たかだか一隻の民間船を前に何もせず、引き返した理由としては、二つ考えられます。一つは、この事件の15年ほど前に、日本が日露戦争で大国ロシアに勝ったこと。当時、同じようにロシアの圧力を受けていたトルコは、大称賛し、日本に対し畏敬の念と強い親近感を持つようになりました。もう一点、さらにトルコの人に日本のことを大きく印象付けたのが、その30年前、和歌山沖でトルコの軍艦エルトゥールル号が沈没した時に地元の人たちが総出で救助し手厚い介護をしたことです。このことをトルコの人たちは今でも忘れていませんが、当時はまだ生々しい記憶と共にトルコ国内に強く広がっていたと思います。この二つの事から、トルコの軍艦は、日の丸を見ると黙って見逃がしたようです。国と国のつながり、相手の印象や親密さなど、前回も言いましたが、一人一人の人間のやったことが70年経っても100年経っても、まだまだ生きて続けて現代に影響を及ぼしているのですね。
本当に素晴らしいことだと思います。では次回は30日前後に更新します。
