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平昌オリンピックは良かったですねえ。選手たちの最後まであきらめない姿に感動しました。
「最後まであきらめない」と言うと、昔の話ですが、強烈に私の印象に残っていることがあります。中学生の時でした。
クラス対抗のソフトボール大会があり、私はそこそこ得意な競技でとても楽しみにしており、リーダーシップをとってみんなの打順や守備を決めていました。私から見ると、我がチームは、1番から5番バッターまでは期待できるが、6番以降はほとんど期待できないチームでした。
さあ、試合も進み決勝戦でライバルの組と対戦、7回制ですでに7回表を終わり1対3(だったと思う。)最終回の裏、3番が出塁、さあ私がホームランで何とか同点と意気込み、バッターボックスに入ったが、あえなく三振、続く5番もアウト、ツーアウトランナー1塁で、ほとんど期待できない6番からの4人、完全に負けたと思い、バッターボックスの方を見ようともせずに、「あ~あ、負けた!」と大きな声でぼやく私。バッターボックスの子は、おとなしく申し訳なさそうな顔で、すでに2ストライク、ところが、3球目にバットにボールが当たり、内野の間を抜けて3試合目で初めてのヒット、続く7番も何とかボールに当たると相手内野がエラーで満塁、でもあとの二人は、さらに期待できず、ヒットを打ったのを見たこともない子でした。その8番もふらふらと上がったボールが野手の間に落ちて1点が入り、9番はさすがに無理かなと思ってたら、この子も初ヒットでサードランナーが帰って同点、さらに相手が連携でエラーをした間にセカンドランナーも帰って逆転サヨナラ。
何ということ、自分で選んでおいて、その仲間に期待もせずに、おのれが三振したら腹を立てて試合をあきらめ、まだ終わってないのに大きな声でボヤくなんて本当に最低だなあ、と恥ずかしく感じたことを今でも覚えています。自分の中では奇跡が起こったとしか思えませんでした。
それ以来、「最後まで何が起こるか、わからんぞ!」と、思えるようになった気がします。事実、その後、えっと思うような逆転劇を人生の中で多数経験しました。今、不幸だとか、うまく行かないと嘆いている人たちは、最後まであきらめずに、ほんの少しの可能性でも、それを信じて頑張ってみたらどうでしょうか?
スポーツは、そのことを見事に教えてくれますね。人生、最後までネバーギブアップですね。
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