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この写真は、1950年代から始まった朝鮮人の人たちの「北朝鮮への帰国運動」の際に、
一緒についていった日本人女性が家族にあてたメッセージです。
当時は、この事業の主体であった朝鮮総連だけでなく、大手マスコミはじめ、日本赤十字社や政治家
(社会党や共産党の政治家だけでなく、小泉元首相の父親、小泉純也や鳩山一郎なども積極的に動いた。)たちが、
「地上の楽園」と煽った北朝鮮ですが、聞くと見るとは大違い、衣食住どれをとっても日本で聞いていたのとは、
全く違っていたそうです。
しかも、一度渡ったら二度と帰国できないことを知り、何とか、この実態を国の親兄弟や親せきに伝えて、
自分と同じ境遇になることを避けてもらいたいと手紙に書いても、検閲ですべて没収され、真実が伝わらない。
そこで、切手の裏に書いた真実がこの写真です。
自由にモノが言えない、これは戦前の日本でもあった話ですし、現在も北朝鮮だけでなく、
中国でもインターネットが自由に閲覧できない、共産党の悪口を言えない、
ロシアでも体制批判を繰り返すとどうなるかわかりませんし、
その他世界中、宗教がらみなどで自由にモノが言えないところはたくさんあります。
それに比べ、日本はいいよね。
と思う方も多いと思いますが、本当にそうでしょうか?
例えば、LGBTの批判を正当化したと、雑誌が休刊に追い込まれる。
内容は確かに痴漢と同性愛を一緒にするような、お粗末なものもあるようですが、
世間が批判するからと休刊になるのは、大多数の意見と違うことが言えない、ということにもなりかねません。
そもそも雑誌社も意見を言うなら、堂々と受けて立つくらいでないとダメですね。
しかしながら、最近の風潮は、
何かあるとマスコミが、こいつが悪いというストーリーを作り上げて、完膚なきまで叩きのめす。
その擁護をしようものなら、お前も同罪だと徹底的にたたく、そして存在がなくなるまで許さない。
今年マスコミをにぎわしたスポーツ関連の不祥事や少し非常識な慣習等にしても、マスコミが寄ってたかって
連日騒ぎ立てて、一般の大衆が「そうだ、そうだ。」と拍車をかける。
つい最近では、貴乃花が突然の引退を表明、各テレビは「偉大な貴乃花が辞めるのは残念。」
とそこまでは、その通りですが、
コメンテーターの多くが、貴乃花が悲劇のヒーローで相撲協会が悪役のような発言です。
貴乃花は昨年からの暴力問題では、相撲社会全体が、暴力に対して甘い判断をしようとしていた時に、
体を張って、横綱さえも許さない姿勢を貫きました。
ここまでは、それなりに立派だったと思いますが、
自分の弟子が日常的に暴力をふるっていたことが判明した時に
「一兵卒でやり直すので、許してください。」とは何事か。
そこは、「たとえ自分の弟子であっても厳罰に処し、廃業させて、暴力については司直の判断に任せます。」と言うのが
筋ではないでしょうか。
それが、自分の身内に対しては、寛大な処置をお願いします、では話になりません。
それ以来、あまり応援できませんので、誰か「貴乃花はけしからん。」という人がいないかと
思っていましたが、いませんでした。
今回でも、全く身勝手な独りよがりの判断で、何ら評価されないと思っていますが、
テレビでそんなことを言うと、貴乃花は人気が高いので、視聴者から、お叱りや苦情が来るのでしょう。
そうなるとテレビ局は、視聴率が下がることを一番恐れるので、結果的に大衆受けするような構成に
ならざるを得ないのかなと思います。
このようなことが続くと、「大多数の人が好まないことは言えない。」ようになり、
マスコミ等の報道や意見が同質化されてくるように感じます。
さらにNET等での情報の伝達の速さと拡散により、急激に一方通行の意見に集約されて、
ますます、それに反対する意見が言いづらい、
これで自由に発言できる国と言えるかどうか、怪しいように思います。
いや、それこそ民主主義の良いところで、多数の意見が正しくて、時によっては大衆が政治家や社会を監視しているのだ、
という人もいるかもしれませんが、
ヒトラーは民主主義の選挙で選ばれたわけですから、一概に多数の意見が正しいとは言えません。
ちょっと飛躍しすぎましたが、
今の日本が、冒頭の切手の裏に書かないと真実が伝わらないほど、
言論が統制されているわけでは、ありませんが、人と違うことを言いずらくなる世の中は、
危険な感じがしますね。
もう一つ、大多数の意見に対して反対が言いずらい、だけでなく、
大多数の人が思ってても言えないこともあるようです。
例えば、日本はギャンブル禁止の国です。
したがって、カジノを作るとなると、ギャンブル依存症が大きな問題である。 したがって、
入場料をとって入り口を少し狭くしようとか、何かの制限を設けようとか、という論議がされていますが、
何をかいわんや、ですね。
日本には、公営ギャンブルが堂々と開催されていますし、
何といっても全国に1万件以上あるパチンコ店では、玉やコインを換金できることを知らない人は、ほとんどいません。
つまり、身近に主婦やおじいちゃん、おばあちゃんでも気楽に入れるギャンブル場がすでに存在しているのに、
いまさら、カジノを作ったからと言って、有識者が憂慮しているギャンブル依存症の人がどれだけ増えるのでしょうか?
本当にギャンブル依存症が心配なら、カジノがどうというより、現状をどうにかしなくてはいけません。
しかし、そんなことは、みんな知っているけど、言えない。のが現実で、
このことをテレビ等で言おうものなら、・・・・・・・・
言った人は、まあ大変だろうと思います。
おっと、言ってしまいました。
もし、このブログが今回で終了になったら、どこからか圧力がかかったと思ってください。
しかし、もし本当にそうなったら、そんな世の中は暗くていやですね。
皆さんも言いたいことは、堂々と言いましょう。
徒然草ではないですが「もの言わぬは、腹ふくるるわざなり。」です。
まあ、
いろいろ言いましたが、最後に
自由にモノが言えない時代の庶民は、いつも暗い顔をしていたかと言うと
そうでもないという幕末の事例をひとつ。
1864年ころの京都では、「長州おはぎ」というものが売れたそうです。
これは、おはぎを3つ三角に並べ、その上にお箸をおく、つまり長州藩の家紋、一文字三星をまねて出したものです。
しかも、長州藩(萩藩)を表す、そのおはぎは長州藩36万石に合わせて、36文で売られていて、
それを買うときには決まり文句を言う習わしになっていたのですが、それは、
大きな声で、
客「負けてくれ!
店「一銭も負けん!」
と必ず言って買ったそうです。
その意味は、
禁門の変から長州征伐と、当時幕府が長州をいじめていると感じた京都の庶民が
表立っては長州の応援もできないし、幕府の悪口も言えない、
そこで、
客「幕府は負けてくれ!」
店「長州は、一銭(一戦)も負けん!」
という意味を込めて大声で、負けろ!負けない!と言い合って、京中で憂さを晴らしたとのこと。
さらに長州おはぎが流行った翌年、第二次長州征伐が始まったころには、
青餅が流行ったそうです。
青餅は、葵の御紋につながるので、今度は反対の意味で
客「負けろ!」は、幕府が負けろ。
店「負けない!」は、幕府は最初から負けてる、だから、これ以上負けない。
という意味だそうです。
おもしろいですねえ。
昔の人もなかなかやりますね。
さあ、もし何もなければ、
次回は10月10日あたりの更新です。