
日本には古来より、「言霊」(ことだま)と言って、自分の発した言葉に霊力が宿る。と、信じられてきました。
霊力とまで大げさに考えなくても、「言葉は生きている。」と思います。
自分の発した言葉で周囲は大いにやる気になったり、逆に傷ついたりするのは、日常茶飯事です。
言葉が生きていると、思えば、言えない言葉は山ほどあります。
「あいつなんか、消えてしまえばいい。いっそのこと、死んでしまえ。」などと極端なことを口に出して、
本当に死んでしまったらどうしますか?
悪い言葉を相手に対して言うと、それは自分に返ってきます。
それでも良ければ、相手に悪口雑言を浴びせたらいいでしょうが、
自分が言われるのが嫌なら、やめた方がいいですね。
例えば、いつも嫌だなあとか、やりづらいなあ、嫌いだという〇〇さんという人がいるとして、
ある日、あなたの友達から、「実は、〇〇さんは、あなたの事すごく評価しているらしいよ。」とか、
「あなたのこと、いつも褒めてるよ。」と言われたら、どうですか?
まんざらでもないな、と思いませんか?
でも、いつも言葉で悪口を言ってたら、○○さんは、あなたのことが好きだったのに
あなたの言葉で、同じようにあなたのことを嫌いになるかもしれません。
また、言葉の力は大きくて、自分に対しても同じように「言葉は生きている。」と思うことがあります。
例えば、自分が発した言葉で勇気が湧いたり、逆に自分の言葉のせいで、置かれた状況がどんどん悪くなる、
そんなことは、今までの人生でよくありました。
つまり、悪い状況に追い込まれた時、「もうダメだ。」と口に出したら、その途端に、
それまでギリギリ頑張ってきた心が、音を立てて折れるような気がします。
だから、心ではもうダメと思っていても「まだ、わからん。」「これからや。」と言ってると
何となく勇気が湧いてきたものです。
自分の言葉は、言わば「最後の砦」みたいなもので、
男はつらいよの寅さんじゃないですが、「それを言っちゃ、おしまいよ。」という感じですね。
「私には無理、できない。」「会社に行きたくない、辞めたい。」「生きてるのがつらい。」
いろいろ大変なことはありますが、口に出してはいけません。
今までの事は前哨戦で、「まだまだ、これからが本番」です。
つらいときは、大きな声で「まだまだ!」と言うだけで言葉が自分を救ってくれます。
嘘だと思うなら、辛いときには腹に力を入れて「まだまだ!」と言ってみてください。
気持ちが少し楽になります。
昔、「泣いてたまるか!」と言う渥美清らが出てたテレビドラマがありました。
毎回、一生懸命に生きている人を題材にした物語で
いろんな辛いことがあっても主人公が「泣いてたまるか!」と頑張る話だったように思います。
その主題歌の3番は、こんな歌詞です。
「♪上を向いたらきりがない、下を向いたら後がない、サジを投げるにゃまだまだ早い、
五分の魂・・・・泣いて泣いてたまるかよ~。夢がある。♪」
底辺で生きてるような境遇でも、あきらめるのはまだまだ、一寸の虫にも五分の魂がある、
こんなことで泣いてたまるか、俺には夢があるんだ。 という意味ですね。
(一寸の虫にも五分の魂:体長わずか一寸(3cm)の虫にも、その半分の5分の魂がある。
つまり、弱いものや小さなものでも侮ってはいけない、意地があるんだということを示す言葉)
辛いときには、「まだまだ!」「泣いてたまるか!」と言葉にすれば、
必ず勇気が湧いて自分に返ってきます。
さて、言葉は生きているという話で少し思い出すのは、
ニッセン時代の部下で、多少やんちゃ、いろいろ会社や周りの人に迷惑をかけながらもみんなに好かれて、
「お前みたいな得な奴、おらんわ。」と言われていたT君が、常々
「今まで好き勝手に生きてきて、俺、いつ死んでもいいわ。」などと言ってたのですが、
昨年の11月に交通事故で亡くなりました。
まだ、50歳という若さで人生これから、という時に残念です。
「いつ死んでもいいわ。」などと言わなければ、
今でも元気に頑張っているような気がしてなりません。
坂本龍馬を尊敬していた彼に送った弔電が出てきたので、
ご冥福を祈りながら、それを紹介して、今回のブログの締めにします。
一緒に酒を飲みに行きたいと聞き、
近々連れて行こうと思ってた矢先にこんな形で叶わなくなりました。
さみしいねえ。
仕方ないので、君が尊敬していた坂本龍馬とでも先に飲んどいてくれ。
いつかはわからないが、後で合流するから。
合掌
次回は、11月10日前後の予定です。