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前々回のブログで、私が柔道弐段だと書きました。そうすると、「柔道弐段なんですね。黒帯ってすごいですよね。」と言われましたが、確かにそうなのですが、実際には少し違います。正確には、「柔道弐段だった。」そして、すごいのは黒帯じゃなくて、黒帯を締めることができる力があったこと、です。
何が言いたいかと言うと、柔道弐段という肩書とか、黒帯と言う ”印” がすごいのではなく、あくまでもその力がすごいわけで、その力を表すのに黒帯を締めたり、弐段と言う免状があるのです。世の中には、肩書や見た目だけですごいと勘違いする人も多いのですが、一番たちが悪いのは、自分のことを勘違いしている人ですね。
例えば、肩書ができた途端に態度が変わる人。最たるものは、選挙の時は腰が低いのに、当選した途端に偉そうになる政治家でしょうか、選挙に選ばれたことが偉いのではなく、選んだ人が納得するような施策を実行する力があって
初めて尊敬を集めるわけです。選挙が終わったばかりなら、まだその価値はわからないので、議員になったからすぐに偉いと思うのは大間違いですね。もっとひどいのは、会社の肩書を振りかざして威張る人、社長、役員、部長、課長、係長等々、会社の肩書はたくさんあります。肩書があると言うことは会社から認められたわけですから、それなりに一目置かれた存在として見られます。ただ、肩書をもらうと、それだけを自慢する人が出てくるのも事実です。「俺は課長だ!」「私は部長なのよ。」「俺は社長だ。」と肩書だけで自分がすごいと勘違いして、俺は部長だから偉いんだ、だから部下は言うことを聞くのは当たり前だ、みたいなことを本気で思っている人。そんな人が結構皆さんの周りにもいるのではないでしょうか。
では、肩書のある上司の何がすごいのでしょうか?それは、課長なら、その課の人たちを会社の求める方向に導き、やる気にさせて力を引き出し、創意工夫しながら、目標を達成させる、そんな力があるから会社はその人を評価し、課長という職位を与えて、報酬もそれなりに差をつけているのです。だから期待されて課長になったら、課長としての役割を全うしなければならないし、それができて部長になったら、さらに大きな組織をまとめて期待される成果を出さねばなりません。その力があるかどうかを皆が見ているのです。肩書ができたから偉いんだなどと考えている暇はないはずです。だから、部長になったからと言って、努力もせずに「俺は部長だ。偉いんだ。」などと考えている大バカ者は、全くもって「勘違い野郎」としか思えません。経験があるからとか、年が上だからとか、学歴があるからとか、そんなことは全く関係ありません。その人が本当にその組織の長としてふさわしいか、それは必ず結果に出てきます。肩書をもらって、うれしがって偉そうにしている人は、あっという間に大事な肩書が外れます。肩書だけで生きている人は、それが無くなると無力でみじめです。もし、今これを読んでいる人の中に肩書のある人がいれば、もう一度その肩書の意味を考えて、今自分が何をしなければならないか、考えるきっかけにしてください。肩書は、それだけで権利を生むのではなく、やらねばならない義務が大きくなるだけです。決して、”勘違い野郎”にならないでください。
(あとがき)
私が若いころ、20代で部長になった時にハンコが8つくらい並んでいる業務依頼の書類で各部署の長が「見たよ。」という程度のハンコを付くという権威主義の代表みたいな書類がありました。ある時、その書類のハンコを押す欄をちょっと間違えて、50代の大先輩の部門長の欄に押してしまったことがありました。その時、突然呼び出しがあり、何だろうとその部門長のところに行ってみると、専用の部屋の大きなデスクにドンと腰を掛けて、両隣には部下の副部長、課長さん方が二人づつくらい並んでおり、その机の真ん前に立たされました。そして、一言「君はいつから俺の代わりをするようになったんだ。」と激怒して言われるので、「すみません、何のことでしょうか?」と言うと、例の間違った欄にハンコをついた書類を椅子にふんぞり返ったまま、私の目の前にポンと投げてよこしました。「どう思うか、うん?」と両隣に並んでいる部下の方にあごで問いかけると、異口同音に「なってない。」とか「〇〇本部長に対して失礼だ。」とか「これから気を付けるように。」等、虎の威を借りる狐そのままの受け答えです。当時その方は、該当部門では〇〇天皇と言われるくらいに絶対的な権力を持っていました。じゃあ、それだけ仕事ができたかと言うと、はっきり言って全くできていません。仕事で成果を出すことよりも自分の権威を守ることに力を入れていたように思います。まあ、勘違い野郎の最たるものでしょうか。
私はこのことを生涯忘れませんでしたが、それから3年くらいして、私も本部長で役員になっており、何かの会議で、これは言わないといけないと思って、例の〇〇天皇に「今の〇〇部門のやり方には、問題があるのではないでしょうか。」と発言すると、ハンコ事件はとっくに忘れているのか、「佐村本部長の言われることも良くわかるので検討させてください。」と終始低姿勢です。その時、人間って自分より弱い(肩書が下)相手にはあれだけ強く出るのに、強い(勢いがある)相手には、こんなにも弱いものなのかと寂しい感じを覚えた記憶があります。それ以来、権威主義にならないように、肩書だけで人を見ないように、そして上にも下にも分け隔てなく付き合うようにしたいと思うようになりました。私が社長の時、それがよい事かどうかはわかりませんが、「社長室」を作らずにいつでもだれとでも話ができるようにしましたが、それは、できるだけ権威や肩書というハードルを下げて、みんなとフラットに付き合いたいからでした。それが会社にとって、どれだけ効果があったかは分かりません。単なる自己満足だったかもしれません。ただ、会社を辞めた今でも、たくさんの方から飲み会等のお誘いがあるのは、個人としては、うれしい限りです。
なお、〇〇天皇とその取り巻きの人たちは、ハンコ事件から10年もしないうちに全員いなくなりました。
今思うと可哀そうな人たちだったなあ、と感じます。
(あとがき)
今回のような勘違い野郎が上司にいて、日々苦労している人、心配いりませんよ。そんな上司は近々、降格になるでしょう。もし、そのまま勘違い野郎がのさばっているとしたら、その上の上司も見る目がないね。
えっ、勘違い野郎ばかり?
もしそうなら、ここだけの話、・・・・・・・・・・
その会社は危ない!・・・・・・かもしれません。