忠臣蔵を考える。 No30

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「時は元禄15年12月14日、江戸の夜風をふるわせて・・・・・」討ち入りを決行した赤穂の浪士たち、ご存知忠臣蔵の話しですが、毎年この季節になると、必ずと言っていいほどにテレビ等で忠臣蔵の映画などが放映されます。これほどまでに日本人に愛されている忠臣蔵ですが、今日は忠臣蔵について、勝手に一言かましてみたいと思います。

そもそもこの話、考えてみるとちょっとおかしい感じがします。何かの本にも書いてありましたが、切りかかったのは浅野内匠頭の方で、吉良上野介の方は被害者なのに敵討ちされて、普通に考えると吉良の方は、とばっちりもいいとこで、「何で俺が殺されないといけないのか。」と思ったでことしょう。逆に、吉良の家臣が「殿中で、主人に切りかかって傷つけ、家名にも傷がついた。許せん!」と浅野家に切り込んで敵を討つ方が自然の流れではないでしょうか。

次に、物語では、喧嘩両成敗にもかかわらず、浅野内匠頭のみ即刻切腹、吉良はお咎めなし、それが許せないのでご政道を正す目的で吉良を討つ!となっているのですが、これもおかしな話で、吉良も刀を抜いて戦っていたらその通りでしょうが、一方的に傷つけられた吉良と、刀で相手を殺そうとした浅野とでは、喧嘩ではないので両成敗はおかしいですね。正確に言えば、可哀そうな被害者のお年寄り(吉良)とカッとなって刃物で老人を殺そうとした狂気の若者加害者の関係だと思いませんか。

どう考えても切りつけた方が悪いのは明らかです。

例えば、会社で若い部下が、年配の上司にいつも小言を言われているからと、ある日会社の中で、包丁を持ってきて切りかかり、裁判でその若者が悪いという結果になったら、後日その家族や友人が徒党を組んで上司の家に押し入って被害者を殺してしまう。そのような話と同じではないでしょうか。こんな理不尽なことが許されていいのか!と思うのですが、なぜか、赤穂浪士は称賛されるんですね。

三つ目に、百歩譲って、ご政道を正すと言うことを是とするならば、時の権力者で一部始終を見ていた(判断した。)柳沢吉保(やなぎさわよしやす)あたりを襲う方が理にかなっていると思います。忠臣蔵の本質は短気は損気の典型で、しかも怒りの矛先が違うように思うのですが・・・・・、ただ、最後には赤穂浪士が本懐を遂げて良かったなあ、と思ってしまう。

そんなこんなで、おかしなことばかりの「忠臣蔵」ですが、多分に配役による先入観があるように思います。大体、浅野内匠頭はまじめなイケメンで少し線が細くて、母性本能をくすぐるタイプの役者で大石内蔵助は高倉健のようにどっしりとした信頼感があって、顔つきもりりしいのですが、吉良の方は、いかにも意地悪な嫌な年寄りの感じで描かれています。これを、浅野内匠頭は、木下ほうか、大石をくっきー、吉良を西田敏行あたりががやれば、「吉良さん可哀そう。」となるのでしょうね。

まあ、あまり固いことを言わなくても楽しめればいいんでしょうが・・・・・・。何となく考えてみたら、おかしいぞ、と言うことがたくさんありますね。

さて、これからも私なりに世の中、おかしいんじゃないか?と言うようなことを掘り出して、ブログに書いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

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