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平成もあと10日あまり。
テレビでも平成の出来事を特集していますが、その中でも平成元年と言うのはいろんな出来事が起こった年でした。
世界では、ベルリンの壁崩壊、天安門広場事件等々、激動の年でした。
日本でも、リクルート事件などで内閣が次々変わったり、
また美空ひばり、松下幸之助、手塚治虫さんなどが亡くなって、
一つの時代が終わり新しい時代が来ることを予感させる年でした。
その中で、私が印象深いのは日本シリーズで巨人が3連敗した後4連勝で日本一になったことでした。
普通の大逆転でも確かに面白いのですが、この時は写真の加藤哲郎投手が大いに盛り上げてくれました。
近鉄の3連勝のあとの勝利インタビューで「全然打たれそうな気がしなかった。」とか、
その後のスポーツ紙等のインタビューでは、当時パリーグの最下位だったロッテと比べて、
巨人は「ロッテより弱い。」と言ったことがスポーツ紙の一面を大々的に飾り、
日本中の巨人ファンが ”加藤の野郎今に見とれ!” と感じていたのですが、
それをもっと感じてたのが巨人の選手で、4戦目に初勝利をした時の投手(確か香田)は勝利インタビューで
「あんなこと(ロッテより弱い)言われて、絶対に負けられなかった。」と声を大にして言っていました。
その他の巨人選手も加藤はじめ近鉄選手の「シーズン中の方が緊張感がある。」と言った巨人を”なめた”発言には、
みんなの気持ちが一つになって ”打倒近鉄!” に燃えていたそうです。
その後の第5戦では、1点差の7回2アウト1,3塁でクロマティ敬遠、バッターは18打席無安打の原、
その時、巨人の藤田監督は代打を送らず、それに見事にこたえて原は劇的な満塁ホームラン、
第5戦は巨人の勝ち、3勝3敗で迎えた最終戦、近鉄ピッチャーは、「巨人はロッテより弱い。」と言った加藤。
その加藤から駒田がホームランを打つと、3塁を回ったところで加藤に向かって「バ~カ!」と言いながら、
ホームに戻ってきました。
そして、結果は巨人の3連敗4連勝と言う劇的な大逆転で終わったのですが、
勝負の綾というか分かれ目、加藤投手がもう少し謙虚に「やはり巨人は怖い。」くらいのことを言っておれば、
たぶん近鉄の4連勝で初の日本一になっていただろうと思います。
(実際の加藤は、ロッテより弱いとは言っておらず、記者からの、「巨人はロッテより弱いんじゃないか?」
と言う質問にピッチャーはすごいけど打線はあかんなあ、と言ったことをロッテより弱い、と報じられた。)
ちなみにプロ野球で日本一になっていないのは近鉄だけです。
しかしながら、すごい試合でしたが、このことは、何事も最後まであきらめない、
と言うことを教えてくれたシリーズでした。
そして、平成の最後のマスターズ、10年以上優勝から遠ざかっていた男が優勝しました。
そうです、タイガーウッズです。
これもまた ”あきらめてはいけない” ことを教えてくれた素晴らしい優勝です。
平成から令和へ時代は変わりますが、何事もあきらめてはいけない、”ネバーギブアップ”の精神は、
これからどんな時代になっても私たちが生きてる限り、ずっと持ち続けていたいものですね。
あとがき
たまたま当時、私の部下で小さいころから「近鉄子供の会」みたいなファンクラブに
入っていたガチガチの近鉄ファンがいました。
近鉄が3連勝したときに「おい、巨人と近鉄どっちが日本一になるか賭けようか?」
と言うと、「えっ、そんな今からでもいいんですか?」と言いながら、
にやっと笑って、「ありがとうございます。もちろん、やります。」
普段は、いつも笑顔で、優しい感じの人でしたが、
結果は前述のとおり、
むっとした様子で賭けの負けを持ってきて、
鬼のような顔で一言、「加藤のアホが・・・・・・」
あきらめてはいけません、が ”安心してしまってもいけない” ですね。
次回は、20日ころに更新します。