東京オリンピックの思い出 No.55

前回の聖火ランナーに続いて、オリンピックの話をします。

今から55年前の東京オリンピックは、9歳の私にも強烈な感動を与えてくれました。

もちろん、金メダルを取った各種目は、そのいくつかは今でも鮮明に覚えていますが、その金メダルに匹敵するくらいに

強烈に覚えているのは、男子マラソンです。

写真の君原健二選手が、郷里の北九州市の人で、当時の八幡製鉄(現在の新日鉄)の陸上部に所属していた関係で

街をあげて応援していたように思います。

日本人のマラソンランナーは、3人。 その中でもメダルに一番近いと言われていたのが君原選手でした。

結果は、残念ながら8位と惨敗で、子供心にも「残念!」と言う気持ちで一杯でした。

その代わり、と言っては失礼ですが、あまり期待されなかった円谷幸吉選手が3位で銅メダル。

立派な結果でした。 金メダルのアベベ選手は別格でしたが、円谷選手は最初2位で競技場に飛び込んできました。

その後、3位で入ってきたイギリスのヒートリー選手に抜かれて、3位。

抜かれた理由の一つに、円谷選手は父親から、「男は、後ろを振り返ってはいけない。」と常々言われていたので、

レースの間は、いつも後ろを振り返ることがなかったことが、あります。

ただ、当時のマスコミの一部は、競技場で抜かれたことに対して、批判っぽい論調で円谷選手を責めていました。

それに対して、円谷選手は、次のメキシコでの金メダル奪取を宣言し、再起を期すのですが、

その後は、不幸が円谷選手を襲います。結婚しようとしたときには、所属している自衛隊の幹部やコーチから、

次のオリンピックの方が大事との理由で、破談にされ、健康面でも持病の腰痛が悪化し椎間板ヘルニアも患い、

思ったような記録を出せずにいました。

元来、責任感の強い円谷選手は、東京で抜かれて3位になったこと、そして、メキシコで金メダルを取ることが、

不可能になったこと等々、心労を重ねメキシコオリンピックの年の1月にカミソリで頸動脈を切って、

自殺してしまいます。

両親に宛てた遺書には、「幸吉は、父上様母上様の側で暮らしとうございました。」

「幸吉は、すっかり疲れ切ってしまって、もう走れません。」とあったそうです。

円谷選手が自殺した後のマスコミは、手のひらを反す様に円谷選手の功績を持ち上げていたように思います。

さて、君原選手の話に戻りますが、メキシコでは雪辱を果たし銀メダルを獲得しました。

その直後の君原選手の言葉が、「私は今までにレース中、後ろを振り返ったことは、ほとんどありませんでした。

しかし、今日は、円谷君の影の声が、そうさせたのかもしれません。」

何かと言うと、競技場に入ってきた君原に続いてニュージーランドの選手が3位で競技場に入ってきていました、

まるで、東京の円谷選手と同じ状況です。 ところが、

レース中は後ろを振り向かない君原選手が、この時だけ後ろを振り返りました。

そして、後ろから選手が追ってきていることを知ると、ペースを上げて、そのまま2位でテープを切ることができたのです。

3位との差は14秒でした。

まさに円谷選手の執念が銀メダルをもたらせたように思います。

オリンピックは、勝った負けたと言う結果だけでなく、そこに至る人間の感動的な「人生劇場」が、あるようですね。

 

6年前くらいでしょうか、ニッセン時代に、取引先の方や社員を集めた懇親会に君原選手を呼んで講演をしてもらいました。

みんなは、「なぜ、君原選手?」とか、「君原って誰?」と言う声も聞こえましたが、

私にとっては、英雄の一人です。

その時に君原選手が、言ったことは、

「私は、今まで一度も途中棄権をしたことがありません。

ただ、いつも苦しくて、いつやめようか、もうやめよう、と言う気持ちで走っていました。

その時、ゴールの事を考えるとあまりにも遠すぎて、余計に苦しくなります。ですので、

次の曲がり角まで走ろう、次の信号機まで走ろうと、目に見えるすぐそこにある目標を目指して走りました。

そうして、出走したすべての競技で完走することができたのです。」

 

みなさんも、ゴールが遠くて、気が萎える時には、この言葉を思い出してみてください。

千里の道も一歩を踏み出さないと完走はできません。

一歩の次は二歩、

二歩の次は三歩、その繰り返しで千里に到達することができるのです。

みんな、頑張りましょう!

 

次は、

9月10日辺りです。

 

 

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