
(続きを読む)をクリック
昨日、誕生日でした。ついこの間、30を超えたと思ったら、もう65! 時の過ぎるのは早いですね。無事に65歳を迎えたところで、今までの人生を振り返ってみると、タイトル通り、中国故事の塞(さい)おじいちゃんと同じで「人間万事サム翁が馬」だったように思います。
まず、大学は当然通ると思ってた本命の国立1期校に落ち、2期校の大分大学に進みました。(不運)本命ではなかったので、ガックリ来たのですが、入ったら良い先生や仲間に恵まれて、毎日好きなことをして楽しく暮らしていました。(幸運)ところが楽しすぎて学校にあまり行かず、成績が悪い!就職の時に大手の一流企業は、「学校の成績が物を言う。」と聞き、仕方なく探したのが、当時ほとんど、「まがい物を売る。」と言われていた通信販売の会社。周りからは、「何でそんな会社に行くの?」とか言われて、ちょっと落ち込み(不運)。入社した時は、できるだけ九州に近いところがいいと思い、福岡支社か広島支社を希望し、「広島支社勤務を命ず」と通知が来たので(幸運)、ちょっと喜んでいたら、入社式で広島勤務の辞令をもらった直後に階段で、川島社長に「君、本社になったからな。」と一言。ちょうど本社の商品部で空きが出たので急遽の指名だとのこと。「ゲッ、京都なんて九州から遠いし・・・」(不運)と思いましたが、それが幸いして、29歳で役員になりました。(幸運)ところが、若い上司の言うことを年上の部下たちはなかなか聞かない。(不幸)その後もなんだかんだとありながら、社長になりましたが、(幸運)退任するときは望んだ形ではなく、青天のへきれき(不幸)、やめた後どうしようかと思っていたら、いくつかの企業から声がかかり、充実した毎日を送る。(幸運)
そう考えてみると、何が幸いするか本当にわかりません。国立1期に通って、大手の企業に就職して・・・・・ニッセンでも広島支社に行ってたら・・・・あの時辞めてなかったら・・・・・いろいろ考えると、その時その時で「不幸だ。」と思っていても、逆にそのおかげで素晴らしい人生に巡り合えたように思います。
人間万事塞翁が馬、何が幸運で何が不幸かわかりません。「禍福は糾える(あざなえる)縄のごとし」災いと幸せはぐるぐる回りながら、私たちのところに降りてきます。
私もおかげさまで、良いことも悪いこともありながら、今は楽しい人生を送らせてもらっています。これからも、幸運におごらず、不幸を嘆かず、生きてることを楽しむようにしたいものですね。そして、このまま行けばどうなるんだろうと先の事ばかり考えず、今自分のできることを一生懸命にやって行きたいと思っています。
(あとがき)
15~16世紀の宗教家、マルチン・ルターは。こう言ってます。「例え、明日世界が滅びようとも、私は今日リンゴの木を植える。」良い言葉ですね。先がどうあれ、今できることをやる。そして、何が起こるかわからない人生だからこそ、面白いし、望みを捨てたらいけないのでしょうね。みなさんも、あなたなりのリンゴの木を今日植えましたか?