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♪星屑を地上に蒔いた、この街のどこかに~♪ テレサテンの香港と言う歌の出だしです。私が最初に香港に行ったのは、今から33年前の1987年でした。その時の印象は、この歌の通り、とりあえず街がネオンでキラキラして、狭い土地には高いビルが林立しており、さらに街のあちこちでビルの建設ラッシュ、何とまあ活気のある街だなあと度肝を抜かれました。街を歩いている人々も欧米人やインド系、その他世界中の国々から人が集まり、欧米の高級ブランド店が軒を並べ、おしゃれな女の人が颯爽と肩で風を切って歩く、まさに憧れの国際都市でした。その二年後くらいから行き始めた中国大陸の各都市は香港とは全く逆で、街の色は無彩色、何故なら女性は全員白いシャツと黒か灰色のパンツ姿、男性はみな人民服、夜になると電力が弱いせいか街中暗くて、寂しい限りでした。
10年後の1997年には、そんな中国に香港が返還されるという予定でしたが、正直、中国返還は無理だろうと思っていました。当時の香港の国際金融都市としてのパワーは、全中国合わせても勝てないくらい確立されたもので、国民がまともに食べる食料もなく、まだまだ貧しい中国では、コントロールすることさえ難しいと思えたからです。
あれから、たったの30年! 上海、深セン、北京、大連等々あっという間にミニ香港が出現したと思ったら驚異的な発展と国力の増強を成し遂げ、このコロナで世界中が苦労しているすきに、香港を飲み込んでしまいました。返還時に50年間はそれまでと同じ高度な自治を維持すると言ってたにもかかわらず、香港の人たちのデモや抗議もものともせず、強権発揮して、あれよあれよという間に他の中国都市と変わらないように法律でしばってしまいました。
香港には今でも毎年のように旅行に行っていましたが、コロナで自粛している間に昔の自由で活気のある香港が単なる中国の一都市になってしまったと思うととても残念です。例えば、中国では制限が多かったインターネットの情報も香港では自由に見れました、香港では誰もが自由に中央政府の批判を新聞やテレビでやっていましたが、それらも自由ではなくなるでしょう。何といっても自分たちで為政者を選べないことは、何をされても文句が言えないということになります。その内、空港で「中国共産党と習近平を支持する。」とサインしないと入境できないようになるかもしれません。
今は香港ですが、来年あたりは台湾を武力で併合する可能性もあります。そうやって、どんどん赤い侵略者がアジアを席巻すると、尖閣どころか沖縄も元々自分たちの領土だったと言いかねません。日本としては、まず台湾をどう助けるか、欧米諸国と手を携えて今から戦略を練っておく必要がありそうです。
今から41年前の1979年、私が初めて経験した外国は台湾でした。親日家が多いせいか、その時の印象がすごく良く、今でも好きな国です。その台湾の人たちが困ることになる前に日本は腹をくくって対処してもらいたいと思います。亡くなった李登輝さんが、晩年に「日本は武士道と言う素晴らしい思想があるのに、最近はアメリカに完全服従、中国には平身低頭で日本の良きところがなくなった。」と嘆いていたそうです。単なる蛮勇ではなく、義を見てせざるは勇なきなり、どこに義があるかを見極めて行動せよ、という事のようです。
いつでも自由に話せて、自由に行き来ができる、そしてみんなが笑って暮らせる、香港も台湾もそんな友人としてこれからも永く付き合えることを願っています。