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私が勤めていたニッセンの創立が1970年4月10日、と言うことで創立記念日が4月10日で、会社は休みでした。土日と合わせて大体3連休が取れたので、結構多くの社員が旅行などに有効活用していました。かくいう私もめったに取れない休みだったので、会社の社員たちと韓国のソウル、プサン(写真はプサンの屋台街)、チェジュ等に行くことが毎年の楽しみになっていました。と言うことで今回は韓国の思い出と、アジア各国との関係について書いてみたいと思います。
韓国については、仕事では1988年のソウルオリンピック前から韓国に行ってました。当時の韓国の人たちが見る日本は、過去に占領した嫌な国(屋台等で飲むと酔って日本人に文句を言う若い人もいた。)とアジアでいち早く世界に通用する国になったあこがれ、また不思議ですが旧日本の占領下を懐かしがり日本語で話しかけてくる老人もいたり、どこか恐々距離を置いている感じでした。また、その当時は日本の本や雑誌、レコード等の発行が禁止され、日本への渡航もビジネス以外は自由ではなかったので、日本の文化や日本と言う国が正確に伝わっていなかったことも影響していたと思います。多分それは、力づくで占領されたというトラウマが国民よりも政府に大きくの残っており、産業や文化で占領されるのではないかという危惧を感じていたのではないかと思います。
その後、ソウルオリンピックを契機として海外からも多くの人が訪れるようになり、また1989年以降は韓国人の海外旅行も自由化され、ようやく日本へ観光にも来れるようになりました。それからは、お互いの文化の交流や韓流ドラマの影響等で、毎年両国の訪問者は増え続け3~4年前には韓国の人口の6割に当たる人数が訪日し、2017年ころまでの20年強は両国の長い歴史の中でも比較的良好だったように思います。創立記念日の4月10日に韓国に行くようになったのも2005年ころからですので、良い思い出ばかりです。そのころには日本に対する見方もずいぶん変わってきて、恐々から普通にお隣の国の人と接しているように見えました。料理は上手い、人は優しい、物価は安い、カジノもあれば、実弾も打てる(カジノや実弾は大したことではないですが・・)と、いろいろ堪能させてもらいました。
そして、韓国事務所の元社員たちとはいまだに交流があり、私が会社を辞めてからも何回か訪問をするように親しい関係が続いています。その韓国にここ3年ほどは行けていません。もちろんコロナで行けないのはもとよりですが、その前の文政権になってからでしょうか、反日感情がきつくなり、行こうにも行きづらい状況になってしまいました。為政者が自己保身のため、自分に都合の悪いことから目をそらせようと国民感情を反日に持っていくやり方は他の国でも見れますが、そのために国民同士が憎しみ合うというのは危険で悲しいことです。
冷静に考えると、時の為政者が日本を悪者にしてでも国民の求心力を保とうとするのは、ある意味日本の国力が相対的に弱まっている、という事だろうと思います。日本から学ぶことがまだまだ多く、日本の産業との関わりが無くてはならない、観光客も来てもらわないと困る。そんな状況であれば”反日””反日”で煽ることはできませんが、今や韓国にとって中国の方が輸出も産業も観光客の数も強い関係となり日本の位置づけが韓国政府にとって低くなったという事でしょう。また、それに伴って日本の韓国への見方も意識調査などでは悪くなってきてるようです。
ただ、国や政府やマスコミが何を言おうが、それだけで判断できない良いところは海外にたくさんあります。韓国人の年配者を敬う心は日本人以上だろうと思いますし、中国も3000年の歴史が培った孔子や孟子等々の思想や三国志などの偉大な物語、日本では少なくなった東南アジアのみなぎる活気と未来への希望など、アジア各国だけでも学ぶべきところは山ほどあります。また、日本の礼に始まる気高い心なども、怒ってパターを折ったマスターズ出場の韓国選手などは真っ先に学ぶべきでしょうね。
まあ、学ぶとか言わなくてもあらゆる国々の人たちが、気軽にどこにでも行けて、普通の国民同士が交流して相手の文化を知る、それが世界平和の第一歩だと思います。来年の4月10日はぜひまた韓国に行って現地の友人たちと美味しいものでも食べたいものです。しかも何の気兼ねもなく、普通にできるようになりたいですね。
(あとがき)
大体韓国に行くと爆飲み爆食いで2~3Kg太って帰ってきます。それができるのも健康がなせる業ですね。一昨日も大腸検査でポリープを取ってきました。みなさん、大腸カメラと胃カメラは、ぜひ定期的にやってみてください。ニッセンを辞めてからも、私の勧めでやった結果、それでガンが早期発見され、命が助かった人もいます。40歳を超えた人は、だまされたと思って一度やってみてください。