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中原中也の「頑是(がんぜ)ない歌」と言う詩は、思えば遠く来たもんだ・・・で始まります。武田鉄矢の海援隊が、多分この詩を参考にアレンジして作ったのでしょう、「思えば遠く”へ”来たもんだ」と言う歌を出しているので、みなさんもこのフレーズは聞いたことがあると思います。
さて、本日、無事に?66歳を迎えました。感想は、一言「思えば遠く来たもんだ。」10代の頃には、自分がこんな年になることなんか想像もできませんでしたが、言われなくてもちゃんと年は取るんだなあと変に感心したりしています。この間も100年カレンダーと言うものを見ると、生まれた年から順番に1年分のマス目が100個並んで、一枚の大きな紙に書いてあります。自分の年はどの辺かなあと眺めてみると、当たり前のことですが、半分より後ろ、全体のちょうど3分の2ほど経ったところにあります。「ちょっと待てよ、という事はあと3分の1しか俺の人生はないのか?」と若干ショックを受け、よくよく考えてみると、「100歳まで生きるとして、あと3分の1、なので、寿命が80歳までだとしたら、すでに人生の82.5%が過ぎて残り17.5%しかない!」「70歳までなら、94.3%で、残りはわずか5.7%」そんな事実を突きつけられると、ますます自分は年取ったんだなあと否が応でも思わざるを得ないですね。
60歳になると普通の会社は、もう仕事は無理だから定年ね、と言われ、仕事を探しても60歳以上の職種は掃除や駐車場の整理等、極端に狭められます。逆に、映画館が安く見れたり、その他シニア割引などの特典も出てきます。65歳になると年金がもらえて、美術館なども無料になったり、コロナも65歳以上は高齢者ですからワクチンを優先的に受けられます。(そう言えば、私が行ってる散髪屋も65歳からシニア割引を利用しています。)等々、ありがたい事ではありますが、周りから年を取ってる人=老人として扱われて行くと、自分自身が感じなくても客観的な事実が積み重なったり、周りからの扱われ方で無理やり年を自覚させられてしまうようです。
冒頭の中原中也の詩は、若いころ汽笛の蒸気を見ながら、悲しくなっていた多感な自分は、今はどこに行ったのか。今では女房も子供もでき。この先まだまだ生きて行かないといけないが自信がない、と言うように続きます。しかし、中原中也は30歳で死んでますから、この詩も20代後半の時の詩です。多感だった昔と言っても高々10数年しか経っていないのに何が”思えば遠く来たもんだ”じゃ!こっちは、もう66歳やぞ、と訳の分からないことをぶつぶつ言いながら、自分の年を改めて考えていると、実家の90歳の母から手紙が届きました。中を見ると、「誕生日おめでとう、あなたをお産するときは大きな赤ちゃんだったから苦労した。」とか「体に気をつけろ。」とか、今でも子供の心配をしてくれて、現金が1万円入っており、「美味しいものでも食べなさい。」とありました。思わず涙が出ました。
母だけでなく、自分よりもずいぶん上の年代の人が家族のため、社会のために気配りをして、何か役に立とうとしているのを見ると、勝手に年取ったつもりになって、残りの人生が〇〇%しかないなどと終わりを気にして恥ずかしくなりました。もしも周りが「65歳で年金をもらい、前期高齢者になったから老人だ。」と言うなら、それはそれで結構!人生はまだまだ続きますし、逆に65歳を区切りとして新たな人生を歩みだしたとすれば、まだ1年しか経っていません。これから先の人生が何と楽しみなことか。今現在を言い換えれば、これからの人生で一番若い時が今である! そう考えると勇気が湧いてきます。年齢がなんぼのもんじゃい! まだまだ枯れる訳には行きませんね。