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私たちが子供のころ、東京ぼん太と言うコメディアンが、唐草模様のふろしきを背負って、栃木弁で世の中「夢もチボー(希望)もないね。」と言うのが流行りました。何かで失敗したり、これからの将来を考えると「もう夢もチボーもない。」などと大人も子供も言ってましたが、まさに”夢もチボーもない”数値が新聞に出ていました。それは、日本の平均年収はここ30年ほどほとんど変わっていない、と言う記事です。まあ、大体は分かっていましたが、改めてその事実を突きつけれれると、寂しい思いがしますね。
30年前と言うと1990年前後ですが、そのころよく海外へ仕事で行きましたが、韓国の平均月給は約10~15万円で日本の半分くらい(日本が30万円程度)、中国では工場のワーカーは、月給3~5千円、上海や北京の事務職は5~6万円だったように思います。また物価もそれなりに安かったので、食事に行っても「安いなあ!」と感じていたものでした。それだけ日本の円の価値が高かった訳ですが、今や平均年収は韓国に抜かれ、中国でも農村部の年収こそ、まだまだ日本よりも安いですが、大都市の平均年収は、ほとんど日本と変わりません。また、中国の富裕層には、とてつもない金持ちも多くおり、その人たちの収入(役人のわいろなども含めると)を全て合わせると数値はずいぶん変わり、既に抜かれているかもしれません。
「30年間、日本人の年収は変わらなかった。」と言われても、過ぎたことですから、何となく、「そうだったんだ。」で済みますが、「これから先30年間、皆さんの収入は増えません。」と言われたら、普通なら暴動が起こってもおかしくないですよね。本当にこのままで推移したら、外国では人件費が上がりますから輸入品は高くなります。海外旅行に行っても日本より物価が高いのでホテル代も食事代も日本の何倍も払わないといけません。だから海外旅行など、庶民にとっては夢物語で行けなくなるかもしれません。そうなると収入は上がらないのに物価は上がって、生活はドンドン苦しくなります。雀の涙程度しか出ない年金で生活することは不可能になり、70になっても75になっても働かないといけません。さらに国や地方自治体の住民サービスや福祉、その他の国の政策を支える原価も上がってくれば、それに見合う税金を得ないといけないのですが、年収が上がらなければ所得税も増えません。人口も減って行けば、さらに税収は減る。そうなれば、住民税などの税金を上げざるを得ず、さらに苦しい生活を強いられる、と悪循環の典型のようなことになります。
このように考えると本当に夢も希望もない、お先真っ暗な日本しか想像できないですね。こんな世の中だからこそ、リーダーは夢を語り、国民が希望にあふれる施策を打たねばなりませんが、今回の選挙を見ると、それぞれの党が人気取りのバラマキばかり言ってます。(バラマキが良くないことは前回も南米の例を出して言いました。)小泉純一郎総理の所信演説の中に出てきた”米百俵の精神”を説いた旧長岡藩の小林虎三郎と言う人は、明治初期の人で当時長岡藩の大参事と言う役職についていました。長岡藩は官軍との戦いに敗れて一面の焼け野原、食べるものにも事欠く状態です。その窮状を知った他藩からの米百俵の見舞いをすぐにでも食料として食べようという殺気だった人々を制して、「この米を一日か二日で食いつぶして、後に何が残るのだ。国が興るも滅ぶもことごとく人にある。したがって、この百俵をもとにして人の教育(学校を作る)にあてたい。そうすれば、この百俵は将来何倍にも何百倍にもなって帰ってくる。その日暮らしでは、新しい日本は生まれないぞ。」と言ったそうです。まさにその通りですね。国力を上げるためには、バラマキではなく、科学技術の研究への投資など未来の日本が世界に伍して戦えるものに使ってもらいたい。岸田首相も技術立国への投資とか令和版所得倍増論等を打ち出していますが、どれだけの投資をするのか、また財源をどうするのか、まだまだ不明な点が多いですね。堂々と「将来、この分野とこの分野においては世界でトップの技術と人材を有するようにする。また所得を上げるためにこれだけの投資をする。その代わり、消費税を〇%上げるが、国民の皆さん今少し辛抱してもらいたい。必ず日本は再浮上し明るい未来が待っています!」こう言う人がいれば、私はバラマキと言う甘い言葉ばかり言う人より、拍手喝采を送りますが・・・・・・。
(あとがき)
東京ぼん太は、「夢のチボーもない。」と言う流行語の他に「いろいろあらあな。」(いろんなことがあるもんだが、まあ心配ない。)と言う言葉も流行らせました。私たちの周りでも、いろんな不都合なことが起こると「夢のチボーもない。」と落ち込みますが、そこで悲観ばかりするのではなく、そうは言っても、まあ「いろいろあらあな。」明日からまた頑張ろう。と前向きに生きて行きたいものですね。