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何か、久しぶりに”胸くそ悪い”思いがしました。岡山の建設会社で働いていたベトナム人労働者が二年にもわたり、周りから暴行を受けていた事件です。加害者たちは、言葉が通じずコミュニケーションが取れないからと暴力を振るうようになった、と供述しているようです。考え方が逆ですね。言葉が通じないから、異国からきて不安だろうから、助ける! これが当たり前で、弱いものをいじめるなどと言うのは、全く恥ずかしい。まさに日本の恥、国辱です。
例えば、日本人が他国で同様の虐待を受けていたら、国家間の対立にまで発展する可能性がある事態です。そこまでいかなくても自分の友達が、家族が、見知らぬ土地で迫害されていたらどう思うでしょうか? 危害を加えた当事者も逆だったら?と思いを巡らすことができなかったのか、残念で仕方ないですね。
今、日本には150万人以上の外国人労働者がいると言います。(2019年160万人)アルバイトなども含めると実態はその何倍かの人を受け入れていると思います。少子高齢化が進む日本では、その内、外国人労働者に頼らねばならない時代が来ると思います。その時に今の国力で魅力ある報酬が払えるでしょうか? 30年間個人収入が変わらない日本で働くよりもすでに中国や韓国の方が報酬が良いという職種もあるようです。相対的に大した魅力もない賃金に加え、弱い者いじめを平気でする国に誰が行こうと思うでしょうか? 今はかろうじて日本で働きたいと言う人はいますが、何年か先には外国人も来てくれない状況になるかもしれません。そうすると日本の産業は大打撃です。身近なところでは大都市の飲食店から外国人労働者が全くいなくなったら、2割くらいの店は営業できなくなるかもしれません。
今回の事件は、単に被害者が可哀そうと言うだけでなく、近い将来の日本にとって労働力をどのように考えるかが、問われているような気がします。彼ら外国人労働者が日本で技術を学び、国に帰って、その力で自分の国を成長させる、そのお手伝いができる事を日本の喜びとして、外国人を受け入れるべきです。単に人件費が安いだけで、こき使う事では日本の成長はないですし、何よりもそんな情けない国になってはいけません。
日本が海外に誇れるのは、正義を尊び、礼儀正しく、親切で規律を守る。そして相手の心が分かる慈悲の気持ちを持つ国民性。そんな日本にあこがれて他国から人々がやってきて、自国でも同様の精神を植え付けることができれば、世界平和にも通じるのではないでしょうか? たった一つの事件から世界平和へずいぶん飛躍しましたが、今回のような恥ずかしい事件が二度と起きないことを願うばかりです。
(あとがき)
前回、道徳の時間が必要と書きましたが、道徳の時間に「逆転ゲーム」をやったらいいのではないかと思っています。小さな子供にお話をします。桃太郎が鬼退治をしましたが、一度、鬼の立場になってみましょう。鬼にも子供がいるし友達もいます。悪いことをする鬼ばかりではないはずです。悪いこともしてないのに桃太郎に殺された鬼はどうですか?・・・・と考えさせる。また、アリとキリギリスでは、寒くて死にそうになってアリに食べ物をもらいに行ったが、アリから断られて死んでしまう。そんなキリギリスの立場になって考えてみよう。・・・・と、どんな時も逆の立場を考えられる、そんな教育をすれば、世の中ずいぶん変わるように思いますね。文科省さん、どうでしょうか?
次回は2月10日くらいに更新します。