(続きを読む)をクリック
今月27日に安倍元首相の国葬が行われました。安倍さんに関しては、正直、亡くなった後、明らかになってきた統一教会問題で跡を濁した感があり、生前の功績までもが否定されようとしています。確かに私自身も統一教会問題は政界のみならず社会全体を覆う暗雲が見えてきて、残念ではあります。
しかしながら、国葬会場の近くで「国辱総理」「嘘つき安倍」など、死者を厳かに送ろうとしている横でデモをする人達の気持ちが理解できません。マスコミですら会場の上をヘリコプターがブンブン飛ぶのは、静けさを破り死者に対して礼を失すると、NHKと民放が共同で運行し、時間も午前7時台までしか飛ばさない、と言う取り決めをしました。例え、安倍さんに功罪あったとしてもお葬式の場で旗やプラカードを持って練り歩く愚は、許せないし、世界中に報道されて、「日本人と言うのは亡くなった人を弔う気持ち、死者に対しての尊厳などは無いのか?」と、思われることこそが”国辱”です。国葬のルールがない事を怒ってるのであれば、終わった後に喧々諤々議論すればよいだけです。このようなデモをしている人たちは、もし自分の親兄弟、家族のお葬式に「嘘つき男の葬式」とか「日本の恥!」などとプラカードを持って外で喚かれたらどんな気持ちになるでしょうか? テレビで見る限り年配の人も多くいましたが、何も分からない若造ではなく、私よりも年上のような人たちが、こんなバカなことをしているのは本当に恥ずかしい限りです。
武士道の精神には敵であっても、さらに敗者であっても思いやる”礼”の心があります。日露戦争で1万5千人の死者と4万人以上の負傷者を出すほどの激戦で旅順要塞を陥落させた”乃木希典将軍”は、敗者である敵軍の将ステッセルとの会見を行いました。その際にアメリカのカメラマンが会見の様子を撮らせてくれ、と頼みましたが、「敗軍の将にとって後世まで恥が残る写真を撮らせることは日本武士道が許さない。」と言って断りました。それでも世界各国のマスコミが要望すると、「会見が終わってお互いが友となった後であれば一枚だけよかろう。」と言って、敵将に帯刀をさせ、肩を並べた写真を撮らせたそうです。負けた将は縄を打たれることも当たり前にある中、サーベルまで帯びさせて、軍装を整えた写真は、仲の良い友好国同士にしか見えません。(写真の中段左から二人目が乃木将軍、その右隣りがステッセル将軍)敗者に対する思いやり、死者に対する尊厳は人として日本人として当然のごとく持ち合わせていたのです。
安部さんの国葬について、もう一つ、”国葬のルールがない”ことを声高に叫び、「ルールがない事はできない。」と言う人が多くいます。今回の国葬とは少し離れますが、ルールだけで生きていける訳ではありません。電車を待っていて”ホームに立ち入ってはいけません。”と言うルールがある。しかし目の前で子供がホームに落ちたら電車が来るまでボーっと待ってるわけにはいきません。駅員が横にいないことも多く、その際はホームに入って助けるでしょう。”ルール、ルール”と言う人は、北朝鮮が突如、日本海を渡って攻めてきても、ルールがないからと日本の反撃に対して反対するのかもしれません。今回の国葬をめぐって賛成反対と日本が二分化し、後を引かないことを願うのみです。そんなことで「日本は大きく割れて、安定した政治運営ができていない。」と他国から見られ、日本を侵略する(戦争だけでなく、経済的な土地の買い占めや外人への参政権付与等々の)チャンスと思われたら、今回の愚が本当の国辱になってしまいます。そうならないことを祈ります。
(あとがき)
文中の乃木希典の日露戦争後日談。敵将ステッセルは帰国後、ロシア皇帝から銃殺刑を言い渡されました。それを聞いた乃木は、ステッセルがいかに勇敢に戦ったかをロシア皇帝に訴え、それを聞いた皇帝は銃殺をせず流刑に減刑しました。それだけではなく、乃木は明治天皇の崩御後殉死するまで、残されたステッセルの妻子に金銭を送り続けていたそうです。ちなみに乃木の二人の子供は日露戦争で戦死しています。自分の息子たちを殺した相手国の将に、そこまでやれるのか? 武士道を貫くと言うのは辛く苦しい事だったと思いますが、日本人にとって、そのくらい重要なバックボーンだったのでしょう。それが今はどうでしょうか。・・・・