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永年生きてると、何回も「覚悟」しなくてはならない場面に遭遇します。仕事で責任ある立場になったとき、うまく行かずに負けを覚悟するとき、自分の力の限界を悟るとき、親の死を覚悟するとき等々。
では「覚悟」とはいったい何なのでしょうか? 辞書を引くと「悟ること。」「悪い事の予測をして準備すること。」などと書かれていますが、もっと端的に表すとすれば、「覚悟」=「逃げない。」ことではないかと思います。その立場や責任、苦しみから一歩も引かず、真っ向から向き合うこと、それができるかどうかが覚悟があるかないかの差だと思います。
先日来、「記憶にない。」などと、のらりくらり質問をかわしていた某大臣など全く持って「覚悟」のカケラもありませんでした。あんな答弁で問題から逃れられると思っていたのでしょうが、誰が見ても問題は一つも解決せずに、いずれ全て自分に跳ね返ってくることは明白でした。その事を今まで放っておいた岸田首相も”人の意見を聞く”だけでなく、自分はこうする!と言う一国のトップとしての覚悟をせねばならないときかもしれません。
覚悟については、過去の仕事においても経験しましたが、何か問題が起こると発覚を恐れ、自分の中で処理をしようと、ひた隠しにする人がいました。その間に解決する問題であれば、まあ良しとは言わないが、ぎりぎり許せるでしょうが。しかし、絶対に自分では解決できないことも上司や周りに言わずに隠してしまう、隠しているうちにさらに問題が大きくなって余計に言えなくなる。3か月後には決算で分かることであっても、ひたすら隠す、まるで今日一日分からなかったら明日には地球最後の日が来て、全てが消えてしまう事を信じているように刹那的です。周りから見ると「なぜ?」と思うのですが、本人は現実から逃避してしまっているのでしょう、後から「何で問題が起こった時に言わなかったのか?」と聞いても「すみませんでした。」の一点張り。責任者としての「覚悟」がない人をその役職に任命したことが悪いのかと反省をしたことがありました。そんな人いるのか、と思うかもしれませんが結構いるのです。
それを減らすためには、例えば企業では、課長とかの役職に就くと「考課者訓練」等の実務を教えることはよくやりますが、「覚悟」を教える道徳みたいなことも必要だったかな。と今になって思います。先日亡くなった稲盛和夫さんは、成功のためには、「考え方」×「熱意」×「能力」が必要と説いてますが、考え方の中には”覚悟”もあると思います。そして、自身でも第二電電をやるときに「動機善なりや、私心なかりしか。」と半年間自問自答し自分がお金持ちになりたいとか有名になりたいと言う利己的なものではなく、社会のために自分がやらねば、と覚悟を決めて取り組んだそうです。そして、覚悟をしたからには「逃げない!」成功するまで「一歩も引かない。」そんな気持ちで今までやってきたんだと述べてます。発足当時は、大きなインフラもない京セラが、うまく行くはずがないと世間から言われていましたが、今ではNTTドコモに対抗する一大勢力として大成功しています。そんなすごい人ではなくても、また何かの責任者でない普通の人であっても、生きていくだけでも、「生きる覚悟」が要るように思います。周りに迷惑をかけない覚悟、弱者を見捨てない覚悟、正しいことをする覚悟、なかなか難しいですが、これからも死ぬまで生きて(当たり前?)逃げずにやれることをやって行こうと思います。皆さんも覚悟して生き抜いていきましょう。
(あとがき)
文中に出た稲盛さんですが、JALの再生を決意したのは78歳の時でした。それと比べると、私など10歳以上も若いのに半分隠居のような生活をしていて、ちょっと恥ずかしくなりますね。やっぱり、すごい人はすごい!