時代遅れの男 No.217

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大正から昭和に変わってすぐのころ、その人は熊本の貧しい百姓の三男坊として生まれました。元々体も大きく力も強かったので、子供のころから農家の働き手として、朝から晩まで百姓仕事をしていました。また、近所ではガキ大将で有名で、喧嘩して負けたことがなかったそうです。そんな平穏な日常に戦争と言う影が忍び寄ってきます。尋常小学校を卒業した少年は、飛行機乗りになるのが夢で、わずか14歳の時に難関の予科練と言う軍の飛行訓練所に入隊します。少年はあこがれの飛行機に乗れると喜んで、厳しい訓練や先輩のいじめにも耐え、一人前の軍人へと成長していきました。ただ、戦況は日本にとって徐々に苦しい展開となり、先輩や仲間は次々に特攻隊として、片道だけの燃料と爆弾を積んだ飛行機に乗り、飛び立っていきました。もちろん誰も帰っては来ません。昨日まで普通に話していた戦友が国のために死んでいく、そんな姿を見ているうちに、自分たちの順番が来ました。その頃は飛行機もまともなものがなく、震洋(しんよう)と言う、大型ボートの先に爆弾を積んで敵艦に体当たりする、まさにその出撃の数日前に戦争が終わり、命拾いをしました。やっとの思いで熊本の実家に帰ると、二人の兄たちは、生死が分からず、年老いた両親と3人の幼い妹たちは、食うや食わずの生活です。18歳になっていた青年は、軍隊時代にもらった給料はすべて実家に送っており、国から出る退職金のようなものも父親に渡し、とりあえず毎日、朝から晩まで人の3倍必死に働きました。その時のことを青年は後年、このように話していました。「親父は、酒ばっかり飲んで、一つも働かんので、おふくろと二人で苦労したねえ。」でも終戦から4年間、必死で働いた甲斐があり、何とか土地も増やし、百姓でも食っていけるようになった矢先にシベリヤで抑留されていた長兄が帰ってきました。そうなると、男手は二人も要らない、三男坊としては家を出るしかない、「まあ、仕方ないか。」と職を探し、北九州の八幡にある八幡製鉄所に就職します。親に借りた2千円を握りしめ、裸一貫からのスタートです。(親父さんは餞別くらいくれなかったん?と聞くと、一切金は出さないと言われたので、仕方なく2千円を借りた、そして、何か月かかけて2千円は返した、とのこと。)とりあえず貧しい、必死になって働くけど貧しい、そんな生活をしているとき青年に縁談の話が来ました。隣村の目がぱっちりとしたかわいい娘さんです。以前から気になっていたけど、自分は金も土地も学も無い三男坊、相手は地主さんの息子やお金持ちの家などからたくさんの引き合いがある美人さん。到底自分なんか無理と思いながら、ダメもとで親戚のおじさんに相談していたそうです。ところが、その娘は体が弱く、百姓は無理だろうと娘さんの父親が八幡にいる青年に決めたそうです。青年は大喜び、早速八幡に呼び寄せ、新婚生活が始まりましたが、家は、とある家の一部屋だけ借り、給料も少ないので食べるのがやっとの生活です。それでも夫婦は一生懸命に働き、一切ぜいたくはせず頑張りました。そのうち子供ができ、家も間借りから、2部屋だけですが長屋に住むことができるようになりました。それでもまだまだ貧乏です。青年は手当てがつくからと進んで夜勤をしたり、人の分まで必死に働き、働きすぎで体を壊すこともありましたが、「子供の寝顔を見ると何でもできる。」と愚痴の一つも言わず働き続けました。体の弱かった娘さんも青年と同じく、弱音を吐かず、いつも笑顔で優しく微笑んでいました。そんな苦労が実り、少し余裕ができたのは青年が55歳になって定年を迎えた頃でしょうか。家も一軒家の持ち家に変わり、夫婦で旅行に行ったり、趣味で水墨画を描いたり、近所のお友達とカラオケ教室に行ったりと、ガキ大将で荒かった気性も影を潜め、いつも穏やかな優しい笑顔で子供や孫に接する好々爺です。それから数十年、二年前に最愛の妻を亡くし、それでも強く生きてきた父が今月の15日亡くなりました。享年96歳。見事な一生です。妻や子供には、一切涙を見せず、愚痴を聞かせず、何事にも動じない。そして、自分より人を大事にし、派手なことは好まずに、会えば、いつもにっこり笑って迎えてくれる最愛の父が、もういません。悲しいねえ・・・・・。棺に入れるメッセージカードには、「本当にありがとう。」と言う言葉しか浮かびませんでした。そして、告別式の時に喪主としてあいさつをするとき、不覚にも涙がこぼれて止まりませんでした。父なら悲しくても涙を見せずに堂々と話しただろうと思うと、この年になっても、まだ父に勝てないなと改めて父のすごさを実感しました。大好きなおとうちゃんへ、安らかに眠ってください。あなたの息子、信哉

 

(あとがき)

考えたら、父の一生は、「人間(じんかん)万事塞翁が馬」を地で行くような人生でした。予科練に合格し、喜んだら特攻へ行かなくちゃいけない。死を覚悟したら終戦、喜んで実家に帰ったら一人で家族を養うことに。必死に働き、ようやくめどがついたら、今度は家をを出ることに。貧乏くじを引いたと思っていたら、それが幸いしてきれいなお嫁さんをもらう。その他にも早く就職した友達は炭鉱などに行き高額の給料をもらうが、自分は百姓をしてて就職が遅れ、炭鉱より給料の低い八幡製鉄へ、ところが、高給でうらやましいと思っていた炭鉱で働く友人は、事故や閉山で悲惨な結果に。やはり、一度特攻隊で死を覚悟したせいか、逆境にあっても物事に動じない強い精神力があったようです。昨年の末まで、しっかりとしていましたが、今年になって、あっという間に自分の人生の幕をおろしました。残された者たちに手間や迷惑をかけない潔さです。まるで河島英五の「時代遅れ」と言う歌そのままの人でした。♪一日二杯の酒を飲み・・・妻には涙を見せないで子供に愚痴を聞かせずに・・・目立たぬように、はしゃがぬように似合わぬことは無理をせず・・・好きな誰かを思い続ける・・・時代遅れの男になりたい・・・・♪ 私もそんな男になりたいです。合掌!

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