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自民大敗、さて、この後の政局はいかに? また、ワールドシリーズの熱戦真っただ中、とブログの題材には事欠かないタイミングですが、今日は、ニュースとは全く関係のない話をしたいと思っています。
私が、今から46年前の1978年に初めて社会人になった時、職場の朝礼では毎朝「ニッセン商品開発部鉄の五則」と言うものを読み上げながら仕事を始めていました。何年か経って、その内容が、電通の「鬼十則」を参考にしたということを知りましたが、鬼十則とは、以下のような内容です。
一、仕事とは自ら創るべきであり、与えられるべきではない。
二、仕事とは、先手先手と働き掛けて行くことで、受け身でやるものではない。
三、大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
四、難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
五、取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは・・・・
六、周囲を引きずり回せ、引きずると引きずられるのでは、永い間に天地のひらきができる。
七、計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
八、自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらない。
九、頭は常に全回転、八方に気を配って、一部の隙もあってはならぬ。サービスとは、そのようなものだ。
十、摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。
言葉使いこそ、”殺されても放すな”とか、”卑屈未練”など、今では使いづらいものもありますが、社員の行動規範としては、現代でも充分に通じる内容だと思います。
この十則、いつできたと思いますか?
できたのは、1951年、私が生まれる4年前ですから、73年前になります。それでも通用するということは、ビジネス成功のキーは時代が変わっても普遍なのかもしれません。ただ、ここには事業の根幹として大事なミッション(何のためにその企業があるのか、と言う存在意義)やビジョン(がんばって、どうなりたいのか、と言う目指す先)がありません。したがって、この十則だけでは、結局、おのれ(自社)のために頑張れ、というだけで、この会社が社会的な貢献として何をなそうとしているかが、分からないのが残念ですが、良くできていると思います。
また、日本には300年も400年も前から、ミッションを明確にした家訓や考え方などが存在します。例えば、伊藤忠商事などの大元である近江商人は、天秤棒を担いで全国を行商して回りながら、有名な哲学を残しています。「売り手よし、買い手よし、世間よし」自分たちだけが良ければ、と言う考えではなく、商売をする相手も良くないといけない、そしてその結果、社会に対しても貢献するように努める。まさに今、企業に求められている事業を行う際の意義が明確に書かれています。
また、時代劇では悪代官から「そちも悪よのう。」と言われ「お代官様こそ、ふっふっふっ」と返す、悪役の典型が「越後屋」ですが、越後屋の元になった三井家でもその創始者三井高利が300年以上前に「町人考見録」として、子孫のために教訓を残しています。そこには”不用意な金融の拡大” ”遊興や女色への深入り”を禁じ、”仁義と算用の均衡”(道義に従い儲けすぎない)そして、質素倹約すること、などと書いています。それが、なぜ悪の典型になったかは不思議ですが・・・・・。
その他にもトヨタやユニクロ、パナソニック、イオン、京セラ・・・その他長く続いている、また成功している企業は、ほとんどが創業者や中興の祖と言われる人たちの「創業の精神」や「企業の理念」を明確にして残して、その企業の判断基準となっています。逆に言えば、そのような精神的なバックボーンがない会社は、何か逆風が吹くと短期志向になったり、おのれだけが良ければ、と言う利己的な考えが支配してしまい、結果的に長続きしないように思います。
企業においても政治でもそうですが、何か判断するときに何を基準にするのか、基準となるものがフラフラしていては、周りはついて行けません。これは企業や政治だけでなく、個人においても同じで、自分の信じるところは何か、その基準は何か、それがあるかないかは人間の評価を大きく変えます。
結局、偉業を成し遂げたり、尊敬される人と言うのは、自分の生きる価値基準が明確な人と言えるのではないでしょうか。
一生かかっても、自分の生きる道を追求していくことが大事ですね。
では、次回は12月10日前後に更新します。