不気味な民意 No,246

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民主主義の世の中において、多数決の意見(民意)が一番尊ばれるべきと言う基本は理解していますが、その民意を形成する過程において、すべて真実に基づいた比較が行われれば良いのですが、そうでない場合は、ちょっと背筋がぞっとする不気味さを感じてしまう、のは私だけでしょうか?

7月の都知事選の石丸氏、衆院選の国民民主党、アメリカの大統領選、今回の兵庫県知事選と立て続けにNETの力が大きく結果を左右しました。NETの情報がおかしいとは思いませんが、どうしても短いキャッチフレーズやデフォルメされた(一部の特徴が誇張された)部分だけが独り歩きし、あたかもそれが全体のように広がってしまう。さらに前回も書きましたが、”確証バイアス”によって、一度正しいと感じたことは、それが正しいことを証明している情報のみ頭に入ってきて、否定するものを排除してしまいます。

さらに多くの人が(相互に関連性のない人が)何人も同様の意見を言い合うことで、それが誤りであっても信じてしまうことになります。このことは大昔から続く、人が生来持つ特徴で、紀元前4世紀ころの中国でも”三人言いて虎をなす”(三人成虎:さんにんせいこ)と言う言葉で説明しています。意味は、人がたくさんいる町の中の市場に虎がいるという全く信じられないことでも、異なる三人が言えば、人は信じるものである、と言う意味です。

このように人間と言うのは、すぐに騙される性質を持っており、世論を一つの方向に持って行くのは、比較的簡単ではないかと思います。世界ではいまだに戦争がありますが、過去を見てもそうですが、参戦する際には結構国民は戦争に前向きで、戦争に突入するのが民意である場合が多いようです。その他にも宗教を信じている人たちは、自分たちが正しくて周りが間違っている、そして、周りは自分たちを貶めて、排除しようとしている悪である。これは、その宗教を信じている人たちの民意であり、そのグループでは圧倒的に大多数の意見です。大きな宗教だけでなく、危険な新興宗教においても同じで、周りから見ると、「なぜ、分からないのか?」「なぜ、目が覚めないのか?」と感じますが、彼ら彼女らは逆で「何で自分たちのように正しいことをやっている人を理解しないのか?」「キリストも最初は迫害された。自分たちも同じだ。」と、一歩も引きません。

例えば、子供の喧嘩でA君がB君を殴ったとします。それだけを見れば、「殴ったA君が悪い。」となりますが、実は殴ったA君は今までB君にいつも殴られていて、その仕返しに一発殴った。と言うことであれば、「仕方ないかな。」とも思います。さらに、普段B君がA君を殴っていたのは、A君が弱い者をいつもいじめていて、それを止めるために殴っていたように見えただけ。となると、一体、誰が良いのか悪いのか判断が付きにくくなります。現実社会はもっともっと複雑で一つの事例で簡単に善し悪しの判断がつくものではありません。しかも、その事実も「そうみたい。」とか「~らしい。」「~が言ってた。」などと自分で確かめた事実ではなく、何人かの「そう思う。」と言う不確実な言動を真実かのように思ってしまい民意が形成されているとしたら、これは怖いことです。NET(SNS)は、そういうことを加速させる力があるのです。

石丸氏や国民民主党の躍進、トランプ氏の大統領選圧勝、兵庫県知事選、それぞれ民意による結果なので、間違いだとは言えませんが、民意だからと、安易にそれが正しいと思わず、どんなことにも疑問を持つ姿勢が求められると思います。これは選挙だけでなく、これから先、全てのことにおいて「本当だろうか?」と疑問を持って接する余裕が求められるのではないでしょうか?

もちろん、それは自分の考えにおいても同じことで、自分が一度正しいと思ったことでも”正しい”で頭を一杯にせず、ひょっとしたら間違ってるかもしれないというスペースをどこかに持っておくことが重要です。それは、大量な情報、しかも真実だけでなく嘘やフェイクが混在する現代においては、たくさんのことを知っていることよりも大事で”必要な教養”ではないでしょうか。

皆さん、多数の意見=正しい、とは限りません。これからも「踊らされない大人」で行きましょう。

 

 

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