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本当の価格? No,266

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6月6日はニッセンの創業者である川島元社長の命日でしたが、お亡くなりになって、早くも四半世紀が経ちます。私もとうとう、川島社長がお亡くなりになった年(69歳)を越え、70歳になってしまいました。今自分があるのは、川島社長のおかげと本当に感謝しています。

亡くなった方に対する感謝や供養は、思い出し、話題にし、語り継ぐことだと思うので、久しぶりに川島社長の事を書きたいと思います。

それは、私が40代前半でカタログの責任者になった時のことです。「利は元にあり」で商品やカタログ等のコストには非常に厳しく、常々川島社長に「一円でも安く仕入れるのが、君らの仕事や。」と指導されていました。我々も精一杯コストを下げる努力をしていたのですが、川島社長には「甘い」と思われていたのか、「まだまだやな。」としか言ってもらえませんでした。そんなある日、社長室に呼ばれ、「今からD日本印刷のK本部長が来るからな。」と言われ応接椅子に座っていると、ドアを開けて「社長、いつもお世話になってます。」と大きな声で、にこやかにD日本印刷K本部長が入ってこられました。この人は昔からニッセン担当で社長のこともよく知っておられ、私も何回も価格交渉をした人でした。しばらく、世間話をしていると突然、川島社長が「K君、君とこの会社とも長い付き合いやなあ。何年になる?」K本部長「もう、かれこれ30年近く、仕事をさせてもらってます。」とにこやかに答えると、川島社長が「そうやなあ、長いなあ。」そして、そのあと信じられないような言葉を発します。「これだけ長く取引してるんやから、次のカタログなあ、タダにせい!」それを聞いたK本部長が「社長、またご冗談を。」と言って笑ったとたん、川島社長が言葉を遮るような厳しい顔で「何笑ろうてるんや、タダ言うたらタダや!これだけの付き合いや、一回くらいタダにしても、おかしいことないやろ!」K本部長「いや、そんな無茶な・・・。」それでも川島社長は引き下がりません。「何回も言わせるな。タダ言うたらタダや。」K本部長「そういわれても私一存では、よう返事しません。」と返事に困っていると「君とこの会社、年間で〇百億円も利益出しとるやないか、カタログ1回分の印刷なんて、せいぜい10億(だったと思う。)までや。会社に帰って上司と相談して来い。」川島社長の頑とした態度と迫力に、たじろぎながら、K本部長、逃げるように帰って行きました。

その後、1週間ほどして、また社長室に呼ばれていくと、K本部長が下を向いて座っています。川島社長が「K君、答え持ってきたか?」と聞くと「社長、すみません、タダは無理です。」言葉が終わるか終わらないかの時に「何でできへんのや、タダ言うたやないか!」と語気を強めます。D本部長「すみません、その代わり、これだけ値引きさせてもらいますので、何とか、ご納得いただけませんやろか。」そのあともしばらく、タダ言うたらタダや、とか言ってましたが、最後に「分かった、今回はそれでいい。」と言うと「本当にありがとうございます。ありがとうございます・・・」と何回もお礼を言いながら、K本部長帰って行かれました。値引きの金額は2~3千万円くらいあったでしょうか、大きな金額です。しかも、年に数回ですから年間では億の単位に近づくくらいのものです。K本部長が帰られた後、川島社長が一言「佐村君、君ら商品の仕入れやカタログの発注してるけど、物の本当の価格ってわかるか?」私が「いやあ、すみません、どういう意味でしょうか?」と聞くと、間髪入れずに「交渉相手が腹立てて、そんな価格で売れるか、と言って机を蹴って出ていく瞬間が本当の価格や。」「そこまで厳しく価格交渉せなあかん。それが君らの仕事や。」「D日本印刷なんて、今回下げてもまだまだニッセンから利益取ってるはずや。引き続き交渉せなあかん。」「君らの交渉次第で会社は大きく変わる。社員にも給料が払えるんや。利は元にあり、しっかりやれ!」そう言われて何も言えなくなり、「わかりました。ありがとうございました。」とだけ言って社長室を出ました。その後、このことを思い出しながら、「普通は、価格を安くしてくださいとお願いして、ちょっとでも安くなったら、こちらが『安くしてもらって、ありがとうございました。』と言うのに、今日は相手が『この値引きで勘弁してもらって、ありがとうございました。』とお礼を言いながら帰って行ったなあ、それにしても最初の「タダにせい!」は迫力があったなあ、やっぱり「川島社長ってすごいなあ。」と改めて感心してしまいました。

それ以降、もっともっと、厳しく、しつこく交渉しないとダメだと部下にも話し、そう心がけるようにしましたが、どこまでできたかは、分かりません。その後数年で川島社長がお亡くなりになったので、お聞きすることはできませんでしたが、もし生きておられたら、相変わらず「君らの交渉は、甘い!」と叱られていたように思います。

25年経ってもいまだに昔のことを思い出します。川島社長からは本当にいろんなことを学ばせていただきました。あらためてお礼とご冥福をお祈りします。

 

(あとがき)

亡くなったと言えば、長嶋茂雄が亡くなりました。私が小学校4年から高校3年までの9年間、ずっと巨人が日本一で、幼く多感な少年時代から青年になる手前まで、「4番サード長嶋」と共に過ごしてきました。学校でソフトボール大会があると、「俺は4番でサードな。」などと勝手に長嶋気取りでした。これまでに、いろんな良い選手がいましたが、誰が何と言ってもヒーローは長嶋です。あの颯爽としたプレイ姿は心にしっかり残っています。やっぱり長嶋は永久に不滅ですね。合掌

では、次回は6月20日ころ更新します。

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