洛西キッド No,282

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先日、いつものように朝早く起きてNetflixを見てると、ビートたけしの若いころを題材にした「浅草キッド」と言う映画がありました。たけしの若いころの悶々とした苦悩や下町の人情、時代の移り変わりの中で流れに乗った人の戸惑いや流れに取り残された人の哀愁などもあり、なかなか面白い映画でした。観ていると、ついつい自分の若いころのことを思い出して懐かしくなったので、今日は浅草キッドならぬ、京都の洛西で一人暮らしをしていたころの自分、洛西キッドの話をしたいと思います。

私が九州から京都に来たのは、1978年4月でした。キャンデーズが解散したり、成田空港が長い反対の末に開港したり、インベーダーゲーム真っ盛りのころでした。誰も知り合いがいない京都に来て、新入社員の希望や今後の抱負など全く考えられず、「これから、どうなるんやろう。」と言う不安の方が大きかったスタートでした。京都に来て二年弱は、会社の寮に住み家賃は、ほとんど要りませんでしたが、その後、京都の西、洛西(らくさい)ニュータウンの公団住宅に移り、家賃を払ううことに。当たり前ですが、約4万円の家賃は手取り10万円程度の身には負担で、いつも金欠状態でした。金欠なら、それに合う生活をすればいいのですが、当時、たばこは日に4~5箱(金額にして150円×5=750円、月にして22500円)酒は、当時から毎日飲む、という訳で、ほとんどのお金が酒、たばこ、時々パチンコなどのギャンブルに消えて、毎月給料前には、家中探してもほとんど、お金がない生活でした。

特に厳しかったのが、給料前の休みの日です。会社のある日は食堂があり、昼ご飯や残業食としての夕ご飯も、うどんやカレーなどの軽食があったので飢え死にすることはありませんが、会社がない時は悲惨です。家中探してもお金がないのは、分かっていますが、机の中や部屋の隅、台所の引き出しなどを探すと、あっちに10円、こっちに5円と結局、小銭が100円くらい出てくるので、それを持って近所のスーパーに行き、名も知らぬ銘柄の袋ラーメンがバラ売り特売で3個で100円くらい、それを買って1~2日過ごします。具もネギもないラーメンだけですが、おいしいかったですねえ。(今でも袋ラーメンは好きです。)そんなことを思い出させるのが、写真の古い鍋のふたです。これは、その当時初めて買った調理道具、と言っても普通の安いアルミの鍋、そのふたです。鍋の方はとうに穴が空き捨てたのですが、このふたは今でも使っている現役です。(どこで拾ってきたのか、と言われそうですが、45年以上、使ったら洗ってまた使うを繰り返しています。)もちろん捨ててもいいのですが、このふたを見るたびに若いころの貧しい生活、そして、「このままでいいのか?」という悶々とした感情などが思い出されて、見るたび使うたびに、あらためて今の幸せを感じるので、あえて使っています。

浅草キッドでのたけしに限らず、皆さんにも、もちろん私にも、皆それぞれに苦労した時期があるはずです。そして、その苦労を乗り越えたからこそ今があるのだと思います。私の場合は、18歳から一人暮らしを始め、就職も親元を遠く離れた京都へ来たので、初めのころは九州が恋しくて、盆と暮の二回の帰省時に実家の暖かみに触れると、京都に戻ってからも袋ラーメンを鍋のまま食べながら「九州に帰ろうかな。」などと考えることもありました。それを踏みとどまらせてくれたのは、「このまま尻尾を巻いて九州に帰れるか。」という意地と仕事の仲間や上司の存在でした。人は一人では生きて行けない生き物なんでしょうね。京都に来てもうすぐ48年になりますが、今までいろんな人に助けられました。これまで知り合った方々には、本当に感謝したいと思います。

とは言え、苦労を乗り越えて今は何も苦労がないと言う人は少ないでしょう。今でもそれなりに苦労を抱えながら生きていると思います。そんな方に、以前このブログにも書きましたが、マラソンの君原健二さんの言葉を送りたいと思います。

生涯74回のマラソンを全て完走した君原さんは、「私は、今まで一度も途中棄権をしたことがありません。ただ、いつも苦しくて、いつやめようか、もうやめよう、と言う気持ちで走っていました。その時、ゴールの事を考えるとあまりにも遠すぎて、余計に苦しくなります。ですので、次の曲がり角まで走ろう、次の信号機まで走ろうと、目に見えるすぐそこにある目標を目指して走りました。そうして、出走したすべての競技で完走することができたのです。」と言ってます。

どうですか、本当に苦しい時には、この言葉を思い出してみると良いかもしれませんね。ずっと頑張るのは辛いものです。だから、苦しい時は、「もうちょっとだけ頑張ってみるか!」これでいいのではないでしょうか。

では、次回は11月30日あたりに更新します。

 

(あとがき)

昭和55年当時の公団の家賃が約4万円でしたが、現在も5万円くらいと、あまり変わっていないのに比べ、たばこは当時セブンスターを吸ってましたが、1箱150円、今同じセブンスターは、何と600円らしいです。う~ん、たばこやめて良かった!

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