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故人の供養とは・・・ No,304

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毎年6月になると、25年前に亡くなったニッセンの創業者、川島達三元社長のお墓参りをするのが、私にとっては、年間イベントの一つになっているので、今年も行ってきました。お亡くなりになって四半世紀も経っているのに、今でもご健在のころのエピソードはよく覚えていますし、元ニッセンの後輩などとの酒の席で、そのことを話すのが私の楽しみになっています。

私は常々、亡くなった方に対する一番の供養は、その人を思いだし、その人の話をすることだと思っているのですが、歳を取るにつれ、供養せねばならない人が増えてきて、いろんな人の話をせねばならなくなってきました。特に自分より若い人たちの訃報が増えてくると、これから先、どれだけ多くの人のことを話さねばならないか、思っただけでも大変ですが、それも自分が長生きをしている証拠、喜んで思い出し、まだこの世で頑張っているみんなと話題を共有して行きたいと思います。

そんな中、先月、九州の誰も住んでいない実家にいた両親が京都に来ました。と言っても二人ともすでに亡くなっていますので、仏壇を京都に持ってきただけです。元々私は、生まれてこの方、先祖供養なるものとは縁遠い生活でした。両親は熊本から北九州に出てきた三男坊の夫婦ですので、家に仏壇などはなく、墓参りにしても、両親の父母(私の祖父母)のお墓がそれぞれ熊本にあるので、盆や命日などでも、お墓参りに行った記憶はありません。(私は高校卒業と同時に親元を離れましたが、その当時、北九州から熊本まで行くのは、京都から九州まで行くよりも遠く、時間や費用もかかり、墓参りなど行きたくても、なかなか行けなかったのだろうと思います。)なので、ご先祖様と言っても、正直、「誰の事?」と言う感じで、どこか縁遠いものでした。そんなことですから、お寺とのご縁も全くなく、父母が亡くなって初めて、納骨堂のある近くのお寺さんと話しただけ、しかも、仏壇は空き家になった実家に置いたまま、時々姉が線香をあげに行くだけですから、最近は両親のことも忘れ気味で年に何回かしか思いださない罰当たり状態でした。

その仏壇を京都の自宅に持ってきて、今、毎日お線香をあげているのですが、両親の写真を飾り、手を合わせると、いろんな思い出が蘇ってきます。小さい時は貧乏だったのに「近所の子らが自転車を買ってもらってる。自分も欲しい。」と言って、私がせがむと、無理して立派な自転車を買ってもらったり、自分たちは我慢して子供に新しい洋服を買ってきたら、私が一日で泥だらけにして破いてしまった時もニコニコと「子供だけん、しょうがなか。」と決して怒りませんでした。夜中に熱を出した時には、結構離れたお医者さんまで、車などなかったので、ずっとおぶって連れて行ってくれました。本当に優しい両親で感謝しています。こんな優しい両親を「今まで、ほっといて、すみません。」(思いだすとまた涙が流れてきます。)そんな両親にまた会えたようで、不思議と、毎日、線香をあげるが楽しみになってきました。これからは毎日思い出して供養ができると思うと、仏壇を持ってきて本当によかったなあと感じています。71歳になるまで何の先祖供養もできなかったので、これからボチボチと今までの借りを返して行かないといけないですね。

 

みなさんも亡くなった大事な方を時々思い出してみてください。それだけで、故人は喜んでいると思います。みんなが、思いだしてる間は、故人とは言え、まだまだ、それぞれの心の中に生きていますが、その人のことをみんなが忘れてしまった時・・・・・・、その人は本当に亡くなってしまうのでしょうね。

では、次回は6月20日ころに更新します。

 

(あとがき)

今月、依頼されて大阪で講演をするのですが、ニッセンの生い立ちや川島社長がどのようなお考えでニッセンを成長させたか、などの話をする予定です。また私の脳裏には、当時のことが鮮明によみがえってきます。25年経っても、まだまだ私の中では、川島社長はご健在のようです。