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当たり前の有り難さ No,308

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皆さん、「ありがとう」の反対語って何かわかりますか? ありがとう→有り難う→有り難い→なかなか無い→滅多にない事なので感謝する。なので、有り難いことの反対は当然のようにあるもの、つまり「当たり前」と言うことになります。

話は変わりますが、先日、立山・黒部アルペンルートに行ってきました。7月と言うのにまだ雪が残っている山岳地帯を抜けると、黒部平から黒部ダムに着きます。写真や映像では何回も見ていますが、目の前に巨大なダムが出現すると、その大きさに思わず「わあ~っ」と驚きます。放水してるところやダム湖をざっと見て、さあアルペンルート終着の長野県扇沢に行こうとしたときに人があまりいない展示場で黒場ダム建設の説明ビデオが流れていました。ちょうど始まるところだったので見てると、私の生まれた昭和30年代の深刻な電力不足など、黒部ダム建設の時代的な背景から、建設時の血のにじむような苦労、その当時の人たちのこの工事に賭ける覚悟など、なかなか見ごたえのあるビデオでした。黒部ダム建設の凄まじさは、映画「黒部の太陽」やNHKのプロジェクトXでも描かれています。特に大きな壁になったのが、ダム建設に必要な資材を運ぶトンネルを掘る工事における「破砕帯」(岩が細かく砕けて、その中に水分を多く含んでいる地帯)の工事です。それは一時、建設中止も検討されたほどの難関だったそうです。その水の温度は摂氏4度、これがどれだけ冷たいかは、ダムの側面の隅っこから湧き出している水が、この破砕帯の水だそうで、手を浸けてみましたが、夏だと言うのに氷と同じような冷たさです。この水が毎秒660リットル湧き出すのですから、冬の作業では全身にその冷たい水を浴びて、1分も持たないんじゃないかと思うほどです。この、無理だと言われた破砕帯の克服は、作業員たちの不屈の精神と新たな水抜きトンネルを作り、水を抜くと同時に液薬を注入し岩盤を固めると言う画期的なアイデアにより成し遂げられました。そのような死に物狂いの努力で、たった80mの破砕帯を7か月かけて貫通させることができました。ただ、その代償として、黒部ダムが完成するまでに171人もの尊い命が犠牲になりました。しかし、その尊い犠牲のおかげで、昭和38年に完成したのちの関西は、停電することも大きく減り、産業界もクロヨンダムのおかげで大きな発展を遂げることができたのです。

当時を見てみると、黒部ダム以外にも戦後の復興と未来の日本の発展のため、各地で大型の公共工事が行われました。電力では、黒部ダムのほかにも静岡県と愛知県にまたがる天竜川にある佐久間ダムが昭和31年に完成しましたが、完成時には東京電力の14%、中部電力の23%をカバーする巨大なものでした。ただ、犠牲者も96名と、多くの恩恵は受けましたが代償も多大でした。

もう一つ、大きな恩恵と言えば、東海道新幹線です。これは、説明の必要もないくらいにいろんな人が恩恵を受けていますが、工事の犠牲者は210名にも登り、相当厳しい条件だったことが推測されます。

これらの公共工事のやり方に問題があったかどうかは、はっきりした意見は言えませんが、一つはっきりしているのは、電力にしてもあるのが当たり前、京都から東京に行くのも2時間少しで行けるのが当たり前、そんな当たり前が生活の中には山ほどありますが、それらも元々は「当たり前」ではなく「有り難い」ことだった訳で、過去の人たちの努力と犠牲で「当たり前になっただけだ。」と言う事実は、忘れてはいけないと思います。

暑ければクーラーをかけるのが当たり前、車でどこにでも行けるのが当たり前、ご飯を食べられるのが当たり前、お酒を飲めるのが当たり前、仕事ができるのが当たり前、大事な人も・・・いるのが当たり前、でも本当に当たり前でしょうか?当たり前と考えられることほど、有り難いことは無いように思います。そう考えると、たまには、身の回りの当たり前に感謝してみても良いのではないでしょうか?

 

(あとがき)

黒部の太陽やプロジェクトXでは、何人かのヒーローたちの活躍が描かれています。確かに優秀なリーダーの存在は大きいものでしょうが、実際には、述べ1000万人と言われる命をかけて建設に従事した名もなき作業員たち一人ひとりの活躍によるものです。その作業員の言葉も紹介されていました。「俺たちは、ただトンネルを掘ってるんじゃねえ。日本の未来を掘ってるんだ!」毎日、泥にまみれながら、命をかけて頑張れたのは、この崇高な使命感があったからでしょうね。本当に「有難う」と言いたいですね。

 

では、次回は7月末に更新予定です。